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新事業 バイク、ホンダから技術

上海で生産始めて大ヒット

タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(19)

「中国製のオートバイの輸出をしないか」。いとこがこんな案件を持ってきた。中国に進出したばかりの1980年代初めのことだ。そのころ上海に「幸福」という名のバイクがあった。その輸出をしないかという。中国は外貨不足に悩んでおり、輸出で外貨を稼ぎたいのだった。

CP(チャロン・ポカパン)グループは香港で会議を開いて提携を検討した。上海市傘下の企業が作るこのバイクだが、見るからに40年代、50年代の欧州の技術を模した代物だった。「骨董品輸出でもやるのかね。速度も遅いし、バイクとしては売れないよ」。会議に参加した幹部らは口々に冷笑した。

だが私はこう答えた。「CPを世界で唯一の販売代理会社にするというのなら販売を引き受けよう」。皆があぜんとした。私は「でも売り先は中国国内だ。代金は外貨で支払う。この条件でいいのか、上海のメーカーに聞いてきてくれ」と続けた。

皆はわけがわからなかったに違いない。だが私にはそれなりの目算があった。改革開放政策の始まった80年代の初め、多くの華人華僑が中国のふるさとに里帰りしたが、そのとき国外からオートバイを持って帰るのが常だった。自動車は少なく、乗り物と言えば自転車しかない時代だった。道も狭く、あちこち移動するにはバイクを使うのがいちばん便利だった。

人々はバイクに何でも載せて運んだ。野菜、果物、エビ、豚、人間……。スワトー(汕頭)から広州の間もバイクが運送手段だった。「幸福」は一昔以上前のモデルだが、中国内の移動や運送の道具としてなら十分に使えた。

では中国国内で販売するのにどうやって外貨を得るのか。私は販売対象を華人華僑と中国に住むその親戚らに絞った。バイクの購入希望者はまず外貨を香港に送金しなければならない仕組みにし、送金が完了すれば中国国内で「幸福」を受け取れるようにした。華人華僑はわざわざバイクを国外から中国に持ち込む手間が省ける。中国人でも華人華僑の知り合いさえいればバイクを簡単に手に入れられる。

中国の新聞紙上に広告を出した。「海外から代金を香港に送りさえすればバイクが手に入る」。すぐに2万台のバイクが売れ、上海の製造元は外貨を手に入れた。しばらくすると上海市側が一緒にバイク製造の合弁事業をやらないかと誘ってきた。私は上海易初摩托車というバイク生産会社を立ち上げた。

自分たちで生産するなら技術が必要だと思った。時代遅れの「幸福」にしがみついてはいられない。バイクならホンダだ。ホンダのバイク「CG125」はタイなど途上国で人気だった。私は上海市の幹部らを連れて日本のホンダを訪ねた。

当初、ホンダは出資も考えたようだが、私は「面倒ですよ。リスクも大きいです」と説明した。結局、技術ライセンス供与契約ということになった。85年に生産が始まると、上海易初のホンダバイクは大当たりした。

ビジネスは他人と同じ発想をしてはだめだ。誰もが売れないと思った「幸福」だが、やり方しだいでは売れた。これをきっかけにCPはバイクや自動車という新事業を手に入れた。(CPグループ会長)

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