中国の故郷再訪 荒廃した街投資を決断 苦労重ねた恩師とも再会
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(17)

2016/7/17 3:30
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米チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース)は米国企業とのブロイラー事業の仲介をしてくれた。その後もチェース・マンハッタンの紹介により、CP(チャロン・ポカパン)は米穀物メジャーのコンチネンタルグレインと東南アジア各地で事業提携をしていた。

1978年に中国が対外開放政策に転じると、CPとコンチネンタルは一緒に中国で飼料事業をやろうということになった。私は50年代後半に中国を離れて以来、足を踏み入れていなかった。60年代から70年代にかけて中国は文化大革命の嵐が吹き荒れ、華人華僑は入国できなかった。

79年末、私は20数年ぶりに中国大陸に向かった。コンチネンタルの幹部らと香港から航空機で広東省広州市に入った。午前中に商談を終え、夕方には香港に戻る短い滞在だった。広州は私が中学生時代の一時期を過ごした街だ。50年代、広州は中国南部の中核都市として繁栄し、香港からすら人々が集まってきていた。

だが再訪した広州は荒れ果てていた。文革時代に寺院など歴史的な建造物は破壊された。往年の繁栄は見る影もなかった。

こんな落ちぶれた状況を見ると企業は進出をためらうのかもしれないが、私は違った。「これはチャンスだ」。米国や日本のように経済が発展した国に行っても入り込む余地は少ない。文革終了後の中国には何もなかった。我々がこれから開発できるのだ。私はすぐに投資を決断した。

中国に入ると、私は小学校時代を過ごしたスワトー(汕頭)にどうしても行きたくなった。小学校の女性担任教師だった陳詩馥(ちんしふく)先生に会いたかったからだ。中国は文革時代に外国との手紙のやりとりが禁止され、先生の安否も不明だった。2回目の広州での商談の折に、スワトーに電話をかけると先生が健在でおられるのが確認できた。私はすぐに恩師に会おうとスワトーに向かった。

先生はスワトーの空港で私を出迎えてくれた。20代後半だった先生は60歳近くになっていた。「先生、変わりませんね。すぐにわかりましたよ」。再会で胸がいっぱいになった。先生は昔のままの笑顔だったが、実は文革時代に辛酸をなめていた。あの時代、教師は反動派と見なされ、糾弾の対象になったからだ。

中学校の教師だったご主人は国民党政権の時代に地元議員を務めたが、こうした過去を問題視されてとらえられた。文革が終了しても一家の生活は元の状態には戻れず、陳先生夫妻と息子さんの3人が6、7平方メートルほどの小さな部屋で暮らしていた。

私は一戸建ての住宅を先生に贈ろうとしたが、質素を好む先生はうんといわなかった。そこで私が小学校時代に暮らした旧市街地の古い建物に住めるように手配した。その後、スワトーに近代的なマンションが建つと、その一室に移っていただくことにした。

私はスワトーを訪れると必ず陳先生にお会いすることにしている。先生は今年93歳になるが、お元気だ。ご主人と息子さんに先立たれ、寂しい思いをされている。小学校時代の級友らが先生のお宅を訪ね、面倒をみている。

(CPグループ会長)

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