アジアに拠点網 日本に鶏肉輸出 成功 中国は文革期、進出の機待つ
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(16)

2016/7/16 3:30
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父の時代からCP(チャロン・ポカパン)グループは日本のタキイ種苗と取引関係にあったと先に述べた。私の時代になって日本との付き合いは格段に深さを増した。最初のブロイラー解体工場はバンコク郊外のバンナーに設けたが、ここに1972年に日本から急速冷凍設備を導入した。

CPグループが1970年代に台湾に設けた飼料工場

CPグループが1970年代に台湾に設けた飼料工場

やがて商社の伊藤萬(現日鉄住金物産)を通じて日本に冷凍鶏肉を輸出し始めた。CPの成功を見て他のタイ企業が続々と養鶏業に参入し、一時は日本の鶏肉輸入の3割がタイからとなった。

残念ながら、鳥インフルエンザが発生し、2004年から13年末までタイから日本への生鮮鶏肉の輸出は禁止された。幸いにもCPは90年代から日本の食品メーカーやレストランチェーンと組み、生鮮鶏肉から加熱加工食品の生産輸出に徐々に切り替えていた。今でも輸出先の2割は日本だ。

日本以外では台湾にも足しげく通った。初めて台湾を訪れたのは1960年代初めで日本に向かう途中だった。空港にタクシーがあまりなく、兄の友人がフォルクスワーゲンに乗って迎えにきてくれた。華人華僑はいろいろなところに人脈があるものだ。台湾の友人らの支えもあって67年から台湾でも飼料工場の経営に乗り出した。

私は中国のスワトー(汕頭)で教育を受けており、スワトーの言葉である潮州語は話せたが、中国社会の共通語の北京語はしゃべれなかった。台湾の人々と話しながら北京語を自然に習得したが、これは後々たいへん役に立った。台湾ではやがて養鶏や食肉加工も手掛け、現地法人を上場している。

香港は昔からCPの拠点の一つだった。50年代末には飼料や鶏卵の輸入会社を設立し、70年代には飼料工場を設けた。貿易などのグループ会社を統括する持ち株会社も設立した。今でもアグリビジネスを手掛けるCPポカパンなどグループ数社が香港に上場している。

マレーシアやシンガポールにも事業拠点は広がり、インドネシアには三兄のスメが進出した。アジア中に拠点が広がるなかで、私が小中学校時代を過ごした中国にだけは事業を広げることができなかった。60年代から70年代にかけ、中国は文化大革命を引き起こしていた。

文化大革命では劉少奇、鄧小平らの現実的な指導者が失脚し、自営や民営の経済活動が禁止された。中国は同じ社会主義陣営のソ連とも衝突するなど世界から孤立し、中国の人々は海外と関係を持とうものなら反動派として弾圧を受けた。華人華僑といえども入り込む隙間はなかった。

父は50年代に故郷のスワトーで農場を経営していたが、命からがら中国を後にしていた。長く中国に滞在した父は反共政策を掲げるタイにも戻れず、香港やシンガポールに住みながら中国の行く末を見守り続けた。いつも父は「おまえ、私の故郷に帰る準備をしておけ」と語っていた。

民間の経済活動を認めない文革時代の政策はやればやるだけ貧しくなった。物事は極端なところまでいけば必ず変わると父は考えていた。私も父とまったく同じ考えだった。父の予言通り、76年に文革は終了し、77年に鄧小平が復活した。よみがえった鄧小平は対外開放と経済改革を唱え始めた。

(CPグループ会長)

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