/

学んだ経営感覚 豚の輸送で小遣い稼ぎ

やがて政府系組合の幹部に

タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(11)

2人の兄のもとで働きながら、ちょっとした小遣い稼ぎもした。次兄のモントリは豚を香港に売る事業に手を広げていたが、私が手伝うことになった。タイから生きたまま豚を香港に輸出する仕事だ。輸送船に一度に2、3千頭の豚を載せていたのだが、扱いは荒っぽかった。

豚を狭いところに詰め込み、ヤシの葉の屋根で雨風を防ぐというやり方だった。香港に到着するまでにずいぶんと豚が死んだ。豚の死を1頭抑えるごとに100バーツの報償を与えると兄から言われた。10頭死なさずに運んだら千バーツになる。300バーツもあれば香港の一流レストランで豪華な食事をしても使い切れなかった。

豚が死ぬのは船が大きく揺れるのが原因ではないかと私はにらんだ。輸送船の船首は波や風を受け、豚が傷つきやすかった。私は波止場の船積み労働者の親分に申し出た。「1頭死なさずに済んだら20バーツ出す」。親分は喜んで豚を船央、あるいは船尾に積むように仕切ってくれた。

労働者らにも30バーツを与えると約束した。それでも私には50バーツが残る。風向きが関係するのか、5~9月は船央、11~2月は船尾に積むのがよかった。積む場所を変えるだけで死ぬ率は下がった。私は輸送管理の重要性を実践から学んだ。同時に利益を折半することで人が動くという経営感覚を身につけた。

1950年代末、タイ政府は鶏、アヒルなどの家禽(かきん)類の卵の輸出を管理するため、協同組合の設立に動いた。実家の企業で2年ほど働いた私は、タイ政府傘下の協同組合の幹部として働きたいと申し出た。

それまで業者が自由にシンガポールやマレーシア、香港、マカオに輸出していたのだが、これを政府傘下の協同組合に独占させた。業者は競争がなくなり、価格が一定になるメリットがあった。政府も組合から一定の税収入を得られた。

私は組合で働き始め、輸出部門を担当した。政府からは組合の理事長にあたる人物が送り込まれた。フランスで法学博士を取ったチャムナン・ユバブーンという人だった。内務省の行政局長という高位にあった。博士は重要な仕事を私に任せた。「あなたは見込みがある。どんどんやりなさい」

やがて20歳そこそこの若者がバンコク中の鶏、アヒル、ガチョウの食肉処理を一手に管轄するまでになった。博士のもとで私は組織の動かし方を学んだ。どう人を導き、どう組織をまとめ、どう会議を開くのか。役員会に報告する仕事もさせられた。

20歳の若さで秘書までついた。秘書は私の手伝いをするために政府から派遣されてきた役人だった。私は1銭足りとも汚職をせず、法律に触れることはしなかった。そのうち組合員らも若造の私に一目置くようになった。

そのころ、タイの家禽業者は大きな課題に直面していた。家禽の羽毛を取り除き、食肉にするまでの加工処理を人間の手作業に頼っていたが、1日に10万羽を超える大量の家禽を手作業ではさばき切れなくなりつつあった。時間がかかり、人件費もかさむ。コストを下げるためには機械による自動処理の実現が急務になっていた。

(CPグループ会長)

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン