タイ風に改名 父「仕事は底辺からやれ」
18歳、店番や配送から覚える
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(10)
タイへの再入国時に名前を改めるよう言われた。
香港からタイに戻ったときの私のパスポートには父がつけてくれた中国名「謝国民」の潮州語発音がつづられていた。中国で共産党が政権に就くと、反共を掲げるタイ政府と中国との関係が悪化した。タイ政府は中国からの移民の受け入れを制限し、タイ生まれの華人の名前を中国風からタイ風に改めるよう求めた。

私をタニンと名付けたのはタイ政府移民局の役人だった。この名前にどういう意味があるのかはわからなかった。しかし響きは悪くなく、私は気に入った。それからタニンという名前を使っている。私の名前は偶然つけられたものであり、誰かに頼んでつけてもらったものではない。
姓のチャラワノンを最初に用いたのは3番目の兄のスメ(謝中民)だ。やはり中国からの帰国時にタイ風に改めるように求められた。そのときに兄がつけられた姓を私も使うようになった。
私がスワトー(汕頭)、広州、香港で勉強している間に、バンコクの家業は広がっていた。父の開いた野菜の種を売る正大(チアタイ)荘は叔父の謝少飛が管轄していたが、種だけでなく肥料や農薬も扱う大店になった。
さらに長兄のジャラン(謝正民)と次兄のモントリ(謝大民)が中国四川省での学業を終えてバンコクの家業に参加した。長兄は1953年に飼料販売のビジネスに乗り出した。農業を軸に商売の幅を広げようと考えたようだ。会社名をチャロン・ポカパン(CP)グループとした。
長兄の妻の養父はタイの将軍という高位にあったが、CPの名はこの人が命名したものだ。チャロンは繁栄を意味し、ポカパンは大衆商品、農産品を指す。CPグループの中国語名は卜蜂集団と称するようになる。種の店のチアタイの名称はそのまま使い続けたが、もとになった正大という漢字は後に中国事業でCPグループ全体を示す名称として再び使用することになった。
私が香港から戻った50年代後半には、CPは中堅企業に育っていた。私は2人の兄のもとで飼料事業に携わった。養鶏、養豚向けの飼料としてトウモロコシ、大豆ミール、破砕米、魚粉などを主に販売していた。小さな工場を持っていたが、配合まではしていなかった。
父からは「仕事は底辺からはい上がれ」と言いつけられた。18歳になったばかりの私は、店の開け閉めや机を拭いたりする仕事を少年店員とともに始めた。お金の受け取りや支払いも任せられた。学校で経営については何も学ばなかったが、仕事の知識は実践から体得した。
毎朝、店の前には古いトラックがやってきた。朝早くに店から出発し、飼料の原料を調達して工場に運んでいた。どうやって飼料事業が成り立っているのかを知りたくなった。私は早起きしてトラックと一緒に小さな旅に出た。原料を調達して工場に運び、そこで加工する一部始終を見学した。
さらに工場ではどのように飼料を管理しているかものぞいた。荷物を下ろして店に戻ってくるころにはちょうど午前8時になる。私は店を開けて店番の仕事についた。
(CPグループ会長)