恩師の導き クラスのリーダー格に 組織動かす楽しさ知る
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(8)

2016/7/8 3:30
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忘れられない女性教師がいる。中国スワトー(汕頭)の小学校時代の担任だった陳詩馥(ちんしふく)先生だ。私がタイからスワトーに移って間もないころ、先生は友達の少ない私を励ましてくれた。先生の勧めで同級生の前でタイの民話を話したこともあった。同級生は大笑いし、すぐに打ち解けた。

師範学校を出た陳先生は当時、20代後半。ご主人はスワトーから30キロほど離れた掲陽市の中学校で教べんをとっていた。私が病気で入院して授業に出られなくなると、先生は見舞いに来てくれた。夏休み中も掲陽に帰らず、授業に出られなかった私のために補習をしてくれた。

前列の中央が陳先生、2列目の左端が筆者(中国広東省スワトー)

前列の中央が陳先生、2列目の左端が筆者(中国広東省スワトー)

陳先生は私だけでなく、どの生徒にも分け隔てなくやさしく接した。休みをまったく取らず、自分が病気になっても必ず教壇に立った。先生が風邪を引くと、先生が住んでいた学校の宿舎を同級生らと訪ね、家事の手伝いをしたことがあった。私はタイから持参していた薬を渡した。

先生は授業についていけない生徒が生まれることを心配し、成績の悪い子をクラスのみんなで教え合うよう提案した。私は何人かの同級生を自分の家に呼んで勉強会を催した。電気の引かれていない家庭もあり、夜になると勉強ができない生徒もいた。私の家は部屋が広く、同級生が集まるのには便利だった。

勉強会はそれぞれが学習テーマを決めて準備し、教え合うやり方を取った。この方法だとみんなが勉強に興味を持てた。同級生は私の家に泊まり、翌朝も早く起きて教科書の暗唱をした。勉強のできない子の成績も改善し、私たちは全校でいちばん勉強ができるクラスとなった。

クラス対抗のバスケットボールや綱引き大会でいつのまにか私はクラスのリーダー格になっていた。どうしたら勝てるのか作戦を考え、みんなと力を合わせて勝利をつかんだ。小さいながら、組織を動かす楽しさを知った。私は級長に選ばれた。

忘れられないのは嫌われ者の男の子とも仲良くなったことだ。悪さばかりするこの子に友達はいなかった。親からも相手にされず、孤独に苦しんでいた。愛情が足りず、人目を引こうとして悪さを繰り返していたのだ。

私にはこの子の気持ちがわかった。私だけがこの子と友達になり、悪さをしないように少しずつ言い含めた。やがて親や先生の言うことは聞かなくとも、私の言うことは聞くようになった。

他人の気持ちを思いやる能力を私は母から受け継いだが、これは後に会社の経営にも役立った。相手の立場になってその人の気持ちを考えれば人はついてくる。自分の立場だけを押し通すと、人は言うことをきかなくなる。

中学1年生までスワトーで学び、途中で広東省の省都、広州の中学校に移った。姉が広州の大学に通っており、姉のところに居候した。広州に移ると今度は広東語での生活に変わった。潮州語と広東語は同じ広東省にありながら、外国語ほど発音が異なる。

しばらくして会話は聞き取れるようになったが、話すことはできなかった。漢字を見れば意味はわかった。広州の中学校には1年間通っただけで卒業をせずに終わった。英語を勉強するため、香港の学校に通うことになったからだ。

(CPグループ会長)

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