科学の発見 スティーヴン・ワインバーグ著
「不遜な試み」偉人読み直す
科学の歴史を説いた本は数あれど、本書のように読む人の感情をゆさぶるものも珍しい。

といっても発見のエピソードに感動という話ではない。人によっては「なんだこれは!」と怒るだろうし、反対に「よく言ってくれた!」と快哉(かいさい)を叫ぶ人もあるだろう。実際本書の刊行後、科学史家との間で論争が起きたりもしている。無理もない。なにしろ本書は、著者がいうように「不遜な歴史書」なのだ。著者は理論物理学の泰斗でノーベル賞受賞者のスティーヴン・ワインバーグ。歴史家ではない。
では、どんな本か。古代ギリシャから現代へと至る科学の流れを大きく俯瞰(ふかん)したオーソドックスな構成。各パートでは天文学と物理学を中心に、世界を理解しようと挑んだ人たちが自然をどのように説明してきたかを検討している(原題は『世界を説明する』)。そこではガリレオやニュートンといったよく知られた人だけでなく、必ずしも有名ではないが重要な人物の仕事にも目が向けられている。鳥の目と虫の目を併せもつ書き手にしか著せない逸品といってよい。
いったいどこが「不遜」なのか。歴史を遇する態度が見所(みどころ)だ。普通、歴史研究では現在の価値観で過去を裁定すべきではないといわれる。例えば、望遠鏡がなかった古代人の宇宙観を、現代人の立場から裁いてよいものだろうか。ごもっとも。
ところが本書はまさにその禁じ手をとる。その結果、西洋学術に多大な影響を及ぼしたアリストテレスをはじめ、新しい科学の方向を示したとされるベーコンやデカルトなども「過大評価された偉人」とバッサリ斬られて形無し。登場する科学者たちは、のきなみ同様の観点から評される。そんなことしちゃっていいの!? と心配になる一方で清々(すがすが)しささえ感じられてくる。
ただし早合点は禁物だ。この本は確かに科学の歴史を扱っている。だが歴史研究が目的ではない。著者はあくまでも、過去との比較を通じて現代科学の特徴を浮かび上がらせようとしているのだ。つまり、自然を理解する際、確かめようもない推測ではなく、観察や実験に基づいて客観的に検証する現代科学の発想は、そもそもどのように編み出されてきたのか。その次第を見てみようというわけである。
科学の歴史はしばしば成功や発見の連続として書かれる。だが先人に学ぶことがあるとすれば、彼らが世界を説明しようとしてどんな試行錯誤や失敗をしたかであろう。この点に(ちょっと強めの)光を当てる本書が面白くないわけがないのである。
(文筆家・ゲーム作家 山本 貴光)
[日本経済新聞朝刊2016年6月12日付]
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