2019年4月20日(土)

春秋

2014/10/23付
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歌人の斎藤茂吉は50代の半ばになって、まな弟子の永井ふさ子と激しい恋に落ちた。別居中の妻があったが情熱はほとばしるばかり、30も年下のふさ子に送った手紙は150通にのぼる。「ああ恋しくてもう駄目です」「恋しくて恋しくて、飛んででも行きたい」――。

▼こういう赤裸々な書簡の束が公表されたのは本人の死後ずっとたってからだ。茂吉はいつも末尾に、読んだら火中に焼くよう求めていたのだが彼女は多くを手元に残した。その違背のおかげで天下の歌詠みの意外な一面が明らかになったのだから微妙なものである。文人の言葉は究極の私信であれ作品性を帯びてやまない。

▼エッセイストでイタリア文学者の須賀敦子さんが、友人夫妻に宛てた書簡55通が見つかったそうだ。「もう私の恋は終りました。その人をみてもなんでもなくなってしまった。これでイチ上り」。40代のころの1通である。はて身の上に何が……。随筆とは違うざっくばらんな物言いで、亡き作家はまた読者を引きつける。

▼「イチ上り」とはなんとも直截(ちょくせつ)な表現なのだが、人生の山も谷も、彼女はそうやって越えていったのだろう。そんな心情が遠巻きの読み手をも揺さぶるのだ。それにしてもいまやメール時代、文学者のこういう私信はのちの世に日の目を見るのかどうか。火中に投ぜずとも、削除ボタンひとつで消え去る文章の行方を思う。

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