ボビー・フィッシャーを探して フレッド・ウェイツキン著
チェスに懸けた父子の実話
アメリカにおけるチェスの現状は過酷なもので、たとえプロになったとしても稼げる金はわずかで、他に職を持つか、あるいは公園で賭けチェスをしながら細々と生きていかなければならない。野球やバスケットに比べることすらできない状況にある。しかし不思議なもので、全米の中には毎年のようにどこかで、神の子のように才能に満ちたチェス少年が出現する。6歳か7歳で異才を発揮し、それを大人に発掘された少年は、何も迷うことなく取りつかれたようにゲームの中に邁進(まいしん)していく。

本書はニューヨークにたまたま出現したチェスの天才少年を、父親がトレーナーとなり教師役のナショナルマスターと組んであらん限りの英才教育を施していくという物語で、しかもこれはすべてノンフィクションなのだというから驚く。
著者は書く。人生に愛や死があるように彼にはチェスがあるのだ。ボードゲームという殺伐としがちな勝負の世界に、まるで路傍に咲く一輪の花のような美しい表現が胸に響く。全身全霊をチェスに捧(ささ)げる7歳の息子と、全情熱をかけて支援する父親、その姿は心に迫ってくるものがある。父親は何度も自分に問いかける、本当にチェスでいいのか、彼はそれで幸せなのか、そしてよりによってなぜチェスなのか。その問いかけと解答を震える思いで読み続けた。
私も将棋界に身を置いて多くのそんな場面を見てきた。それはチェスも将棋も本質的には大きくは変わらないだろう。駒の置かれた盤上の先にあるのは途轍(とてつ)もない成功か途轍もない挫折、そして才能に満ちた少年ほど躊躇(ちゅうちょ)なくその境目の先に飛び込んでいく。もちろん表題にもなっているボビー・フィッシャーもその代表ともいえる人物でわずか14歳で全米選手権に優勝し、不可能と思われていたロシアチャンピオンを破り世界を制し、そして忽然(こつぜん)とこの世界から姿をくらました。その英雄の影を親子はチェスの知識を少しでも深めることで、追い続けていく。チェスとはそもそもいったい何なのか、その問いは人間が生きる意味を探し続ける苦しみと変わらない。
訳者は若島正氏。詰め将棋作家としては伝説的な存在であり、将棋の強豪であり、チェスプロブレムの作成者としても世界に名を馳(は)せている。清潔でロジカルな言葉繰り、そして何よりもボードゲームへの深い造詣と愛情が言葉の端々から伝わってくる。これから先も何度でも読み返すだろう一冊になった。
(作家 大崎 善生)
[日本経済新聞朝刊2014年10月12日付]
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