人類が永遠に続くのではないとしたら 加藤典洋著 震災後の困難、深淵まで考察

2014/8/12付
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批評家加藤典洋氏の新著は、3.11が露呈させたこの社会の亀裂を、その深淵の奥底までのぞき込む執念の考察である。よくあるポスト震災論や脱原発論をなぞらず、ボールを《くらがりの中…一番遠くまで》飛ばそうとする。闇の中の壁にぶつかって、ボールがはねかえってくることを期待しつつ。

(新潮社・2300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(新潮社・2300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

本書を読んで私は、サッカーの軽妙なパス回しを連想した。議論の筋道はまず、誰かに預けられる。だが、もの足りない点がみつかって、つぎの論者にボールが回る。そこにもやはり批判すべき点が見つかり、またそのつぎ、と続いていく。レイチェル・カーソン『沈黙の春』やローマ・クラブ『成長の限界』は、産業社会の限界が外から来るとしか考えていなかった。ウルリッヒ・ベック『リスク社会』は、リスクが内側からつくり出されるとしたのはよいが、議論が深まらず社会システムの一般論に横すべりしていく。見田宗介『現代社会の理論』は資源の制約(有限)と幸福の追求(無限)の両方をとらえるところがすぐれているが、産業社会の底に潜む恐怖にまで届いていないのが不満である。こうしてパスはその先も、サイバネティックス、吉本隆明、ルーマン、フーコー、アガンベンへと、絶妙に受け継がれていく。

本当に衝撃的な重大事件が起こっても、その意味がすぐには理解できないという。第1次世界大戦をやり過ごした日本も、その意味をつかみそこねた。25年後に第2次世界大戦で、手痛い経験をした。チェルノブイリの原発事故も、対岸の火事のようだった。25年後に福島で、その恐怖を思い知ることになる。加藤氏は、震災と原発事故の衝撃を、誰より深く受け止めた。だからそれは、すぐストレートな言葉にならない。それが、パス回しのように本書が書かれている理由である。

加藤氏はこうも言う。自分は過去と向き合ってきたが、未来についてそこまで考えてこなかった。技術が進歩すれば解決するとどこかで楽観していた。だがその楽観は産業社会への、根拠のない信頼だったのではないか。その信頼が成り立たないとわかったいま、時代は底が抜けてしまった。未来が保証されないから、《人類が永遠に続くのではないとしたら》なのだ。

実を言えば私(評者)は加藤氏ほど、この衝撃を深く受け止められない。3.11をはるかに上回る破局が起こるような気がするからだ。それはともかく、この時代の困難をどこまでも深く掘り下げる書物が現れたことを、読者と共に喜びたい。

(社会学者 橋爪 大三郎)

[日本経済新聞朝刊2014年8月10日付]

人類が永遠に続くのではないとしたら

著者:加藤 典洋
出版:新潮社
価格:2,484円(税込み)

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