インフォメーション・エコノミー 篠崎彰彦著
情報社会、経済学の基礎概念で分析
かつてIT(情報技術)化による未来を語った「情報化社会論」とも言うべき分野があった。コンピューターやネットワークの新製品でこんなに便利になりますよ、というSFめいた予言の書だ。予言が実現し製品が開発され、次に盛んになったのは、日本は遅れているからITのインフラや投資が必要だ、と語る本だ。「発明の予言」があって、「製品のための投資」が済んだとすると、次に必要とされる議論は何だろうか。

本書が情報化の現状分析にあたってツールとしたのは、経済学の基礎的な諸概念だ。消費者に品質が分からないため、市場に出回る製品全体が低品質ばかりになる「逆選択」から始まり、IT投資で生産性が結局上昇したのかどうか、そして情報化が企業組織の境界や立法、そして雇用の二極化に与える影響など、幾多の論争や話題を目配りよく展望している。
中でも故梅棹忠夫の議論の紹介は興味深い。売り主が情報を伝えてしまえば後からお金は取れないから「立ち読みおことわり」という特性を情報財は持つこと、フリーコピーで原価計算が難しいために大まかな値段付けになるなど、半世紀前に巧みな比喩で本質を突いた議論を展開していたことに驚かされる。
一方、現状のルール改革は遅々として進まない。旧来の関係者が時代遅れの「思考習慣」で改革を阻害するからだと本書は指摘する。梅棹のように何がエッセンスか把握できないから、「専門」家たちは事前規制的ルールを墨守するか、米国の自由放任ルールを直輸入するか、の不毛な二者択一を議論しているのだ。
本書は情報化の達成した現状を広範囲に展望するが、未来への高揚感はない。情報化は浸透した結果、もはや特殊な話題ではなく、当たり前の経済原理が適用可能で少しほろ苦い分野になってきているのだ。
故星新一のSFショートショートには、博士が新製品を発明するというパターンがある。出回りすぎて、かえって皆が苦しんでしまうというオチがつくのだが、情報化する経済社会の現状はまさにそうだ。規制改革の問題にしても、断片的情報に頼った事前裁量システムには戻れない。悪貨が良貨を駆逐しないためにも、事後的にチェックすべきポイントを見つけることが必要だ。ビッグデータもあり高速計算も可能な現在、必要なのは、単なる統計的相関でなく経済学のエッセンスではないか。そんなことを考えさせる。
(首都大学東京教授 脇田 成)
[日本経済新聞朝刊2014年6月8日付]
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