サルなりに思い出す事など ロバート・M・サポルスキー著
ヒヒ研究から描くアフリカ社会
これは、21歳でヒヒと暮らし始めた科学者の話だ。まずはヒヒのことが書いてある。彼が調査した集団の個体に、旧約聖書からとった名前をつける。ソロモンやベニヤミンといった具合に。観察の内容は、たいていボス格のヒヒの栄枯盛衰、それにメスとのやりとり。動物行動学や日本のサル学の伝統を考えるなら、顕著な個性はない。ただ、その際、彼にはやや特異な課題設定があった。

つまり、心理状態とストレス関連の疾病との間になんらかの相関があるかどうかを調べるために、特に下位のヒヒの血液を採取し、それを分析するという作業だ。ヒヒでさえ、やはり集団の下層部にいるときには、いろんなストレスに苦しむらしい。やれやれ、という感じだ。しかも、その血液採取を実行するためには、吹き矢で相手を眠らせなければならないが、吹き矢の腕前を磨くための修練が、面白おかしく描かれている。
ただ、どんどん読み進めるとやがて分かってくることがある。それは、この本の意図は単にヒヒの生態やストレスの有害性を読者に啓蒙するということだけにあるのではないという事実だ。
これはケニアでの調査のために、アフリカ社会に滞在し、そこで研究する1人の研究者の苦労談ではあるのだが、その際の苦労は、単に研究内部のことだけではなく、アフリカの風俗習慣が彼に与える違和感や焦燥感をも含んでいるのである。もっというなら、全体として見たときには、むしろアフリカでの経験全体を、ヒヒ研究を介在させつつも、巧みに描くということにこそ、著者の視点設定があるということが分かってくる。
そこには、もちろん比較的客観的な内容もある。例えば戦争の爪痕、失敗したクーデターに巻き込まれて大変な思いをしたということなどだ。また、周囲の部族から見ても顕著な特徴を備えたマサイ族のことにも何度も触れられている。
それらの政治的なことだけではなく、日常生活での人々とのやりとりの記述も多い。そこで特徴的なのは、アフリカ社会で蔓延(まんえん)していた悪習、特に至る所で行われる詐欺や賄賂、不正などに沢山(たくさん)の頁(ページ)が割かれているという事実だ。最終的には、その種の不正をきっかけに長らく研究してきたヒヒ集団の多くが病気で死ぬということにもなる。そこに滲(にじ)み出す怒りと哀愁が、本書に独特な陰影を与えている。これはヒヒを介した優れた風俗誌、巧みな文化誌なのである。
(東京大学教授 金森 修)
[日本経済新聞朝刊2014年6月22日付]関連キーワード