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景気回復で転職増えた? 求人数は戻ったが…

 「息子がキャリアアップのため転職すると言っているのですが、そんなに簡単に仕事は見つかるものでしょうか」。探偵の深津明日香は近所の主婦の言葉に興味を持った。「景気回復で、転職はしやすくなっているのかしら?」と調査に出た。

求人、実績ある人に集中

明日香がまず厚生労働省の雇用動向調査を調べると、2012年の転職入職率は常用雇用者の9%にあたる417万人。むしろ05年をピークに低下傾向にあることがわかった。そこで安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」による"景気回復"が最近の転職市場にどの程度影響しているのか、さらに調べてみた。

「求人数はリーマン・ショック前の水準に戻ったのですが…」。人材紹介の最大手リクルートキャリア(東京都千代田区)の鶴巻百合子さんが説明した。「以前はとにかく人手が欲しいという企業も多かったのですが、最近は条件に合わなければ採らない企業が増えています」

企業が求めるのは実務経験が豊富な30代以上が中心という。「営業で表彰されたとか、部下を何人抱えていたとか、具体的な実績が必要です。複数社からオファーがある少数の人とゼロの人たちに二極化しています」と鶴巻さん。

「実績がない若手の転職は厳しいのかしら?」。そこで明日香は、大学などを卒業後2~3年で転職を目指す第二新卒向け転職フェアを訪れた。出展企業に話を聞くと、「企業内の年齢構成上のバランスを正したい」「新卒採用が入る4月より前から人手が必要」と採用理由は様々。

運営会社の学情によると、企業の旺盛な採用意欲を受けてこの1年間だけで3度、同様のイベントを開催した。毎回50社程度が参加するという。この日は千人程度が来場。会社が合わないと感じる20代前半や、より高い待遇を求める20代後半が中心だが、社会経験のない大学卒も増えているのだという。

「双方の要望を一致させるのは大変そう。実際に転職した人たちはどこで就職先を見つけたのかしら」と明日香。厚労省の調査をみると、情報源はハローワーク、広告、縁故がそれぞれ3割弱だった。

政府は成長戦略で転職支援の強化を掲げ、職業紹介や研修への助成金に加え、ハローワークと民間の連携を進めている。しかし、求職者が職探しやスキルアップの助言を手厚く受けられる環境は整っていない。日本では求職者が手数料を支払って職業紹介を受けるには規制があり、人材紹介会社は求人広告の掲載料や転職の成功報酬を支払う企業側の支援が中心になりがちだ。慶応義塾大学教授の鶴光太郎さん(53)は「求職者の親身になって相談に乗り、その人に合う企業を紹介してくれるようなサービスは育ちにくい状況」と話す。

情報提供の仕組み不十分

明日香が調査に行き詰まると、「最近は交流サイト(SNS)経由でも転職情報を得られますよ」と声がした。昨年、ウォンテッドリーというサービスで転職した久間美咲さん(26)だった。「前の会社に不満はありませんでしたが、話を聞きに行ったら楽しそうだったので転職を決めました」

同サービスはフェイスブック登録者向けで、登録すると友人が勧める会社などの求人募集が見られる。「話を聞きに行く」というボタンを押すと、履歴書を送って面接を受ける通常の転職プロセスの前に会社を訪問し、会社の雰囲気を知ることができる。

久間さんほか、3人をこの仕組みを使って採用した知識共有サイト運営のナナピ(東京都渋谷区)の和田修一さんは「会社訪問のハードルが下がって助かります。人材紹介会社に紹介された人より志望度も高いです」と満足げだ。

明日香が運営会社のウォンテッドリー(東京都港区)を訪ねると「知名度は低くても働いている人に魅力があるような小さな企業の求人が多いです」と社長の仲暁子さん(29)。12年から2千社の求人を提示し、延べ月600人が「話を聞きに行く」ボタンを押している。企業が支払うのは掲載料のみ。「企業側も社員との友人関係などが事前に分かり、安心感があると思います」と仲さん。実際、海外では職歴や人脈を確認できるビジネス用交流サイトのリンクトインなどで転職を実現する人も多い。今後、日本でも広がる可能性がある。

「人とのつながりは転職を増やす起爆剤になりますか」。明日香の疑問に、東京大学教授の玄田有史さんは「社会学などでは、自分と似たような情報しか持たない家族や親しい友人より、少し遠い知り合いとの"弱いつながり"の方が転職に有効という研究があります」と答えた。「ただ、人とのつながりが少ない人は職を得づらく、交流サイトも使い方次第でしょう」

「転職は実績や人脈が豊富な人にとっては有利かもしれません」。明日香が事務所で中間報告をすると、所長が「そもそも転職が活発になるとどんなメリットがあるのか?」と新たな宿題を出した。

明日香は再び飛び出し、国際大学教授の宮本弘暁さん(36)を訪ねた。「終身雇用できた時代は良かったかもしれませんが、今はそうではありません」。企業は経済成長期には既存事業から新規事業へ社員を異動させ、大きな人員削減をせずに済んだ。ところがバブル崩壊後は事業の撤退・売却による大がかりなリストラも増えた。

一方、社員にとっては失業後に別の仕事を得られる確率は海外より低く、敗者復活がしづらい。米国では月間で3%程度の労働者が失業を挟まない転職をしており、宮本さんは「そのまま比較はできませんが、単純計算すれば年36%で日本の3倍以上の転職がありそうです」と説明する。

政府も失業を防ぐ効果があった「雇用調整助成金」の削減などを通じて労働移動の促進を進める方向だ。「衰退産業から成長産業への労働移動が起こりにくいと、経済成長を阻害する可能性があります」と宮本さん。

「前職での早期退職や待遇悪化であれ、キャリアアップのためであれ、相対的に魅力がある仕事に移りやすいことは重要です」。日本大学准教授の安藤至大さん(37)が会話に参加した。終身雇用が崩れ、企業は年功序列型の賃金体系や長期勤続を前提とした企業年金など、転職すると不利益を被る仕組みを見直す必要がある。

さらに「『情報の非対称性』の克服も必要ですね」と安藤さん。企業が求める技能が明示され、求職者側が技能を身につけられる機会があり、身につけた技能のレベルを示せるようになるなど、人材底上げと適材適所を実現するための環境整備が欠かせない。

「私も探偵業界で求められる技能をちゃんと身につけなくちゃ」。明日香が報告を終えつぶやくと「探偵たちにはスキルアップして欲しいが、引き抜かれても困るな」と所長もため息。

(井上円佳)

[日経プラスワン2014年2月15日付]

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