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春秋

働きざかりの男がいた。商売をしくじり、女房子どもをすっぽかして海辺のきたない宿屋へ逃避したのが大みそかである。窓から暗い海を見れば、漁船の灯が点々、小さい灯台が間遠に光をまわしていて、わびしさこの上もない。いよいようらぶれてきて目はさえ……。

▼人からのまた聞きだと断って、作家の幸田文はそんな話を書いている。忙しくって、やっと一段落した夜に年越しそばをすすって、というだけでない。一年をまたとにもかくにも生きてきて、最後の日、人はなにがしかの感慨を胸にし、それぞれの仕方で大みそかと向き合い、また、この日をやり過ごそうとするのだろう。

▼これでもか、というほど「紅白歌合戦」の前宣伝をするNHKには申し訳ないが、「風天」の号で俳句を詠んだ渥美清にこの作品がある。「テレビ消しひとりだった大みそか」。歌人道浦母都子さんは激しい。「欠け茶碗(ぢゃわん)三和土(たたき)に叩きつけて割(さ)くわれの一人の年越しの宴」。どちらも、個と孤が対で迫ってくるふうである。

▼さて、幸田文の話の続きだが、雪が降って翌朝は真白き新年になった。人はなく、雪はまだ汚れていなかった。それを見ていたら男は気持ちが改まり、人の踏まない先にこの雪を踏んで帰ろうという気になったという。きょう、明日もただの二日に違いはないが、誰にも改まるものがある。年の終わりのありがたさである。

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