女性の観察眼、巧みに表現 大賞に「スコールの夜」 - 日本経済新聞
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女性の観察眼、巧みに表現 大賞に「スコールの夜」

第5回日経小説大賞

 第5回日経小説大賞(日本経済新聞社・日本経済新聞出版社共催)の最終選考会が行われ、大賞に芦崎笙「スコールの夜」が決まった。今の時代に適合したストーリーの設定や展開のうまさ、無駄がなく優れた文章力などが高評価を得た。

400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編作品を対象とした第5回日経小説大賞には、200編の応募があった。経済、ミステリーから時代、歴史、ファンタジーなど幅広いジャンルの作品が寄せられた。50~60歳代の応募が約半数と多かった。

第1次選考を通過した20編から最終候補作となったのは5編。東大法学部卒の女性銀行員が組織や社会の現実に直面して葛藤する芦崎笙「スコールの夜」、幕末に江戸から奈良に赴任した奉行の生き方をリアルに描く宮澤洋一「過ぎし南都の日々」、平安時代の海賊、藤原純友が塩の利権を握って財を築き勢力を広げる指方恭一郎「塩の王」、ほか廣瀬とり「エルピスが残った」、葉月堅「戦場(いくさば)泥棒」が残った。

最終選考は6日、辻原登、高樹のぶ子、伊集院静の3人の選考委員がそろって開かれた。最初に各委員が授賞にふさわしい作品を複数推薦。「スコールの夜」「過ぎし南都の日々」「塩の王」が候補に挙がった。そのうえで全5作品について十分に内容を議論し、最終的に全委員が「スコールの夜」への授賞で一致した。

「男女雇用機会均等法施行後に女性総合職が組織で生きていくための大変さがよく描かれている」「かなりドラマ性がある一方、情報的にも非常に面白い。女性の観察眼がよく表現されている」とした内容面での評価とともに「今の時代に読むに足りる、なみなみならぬ力がある」と文章面でも高く評価された。

<あらすじ> 平成元年に東大法学部を卒業、都市銀行トップの帝都銀行に女性総合職一期生として入行した吉沢環(たまき)は女性初の本店管理職に抜てきされた。命じられたのは、総会屋・暴力団への利益供与や不祥事隠しなどの役割を担ってきた子会社の解体と、それに伴う200人の退職勧奨の陣頭指揮。保守的な企業風土による女性総合職への偏見や差別に耐えての昇進を意気に感じ、後進のためにもと荒療治に乗り出すが、男性行員の感情的な反発を招き、子会社を巡る経営幹部の派閥抗争に巻き込まれていく。

<芦崎笙氏「スコールの夜」受賞に寄せて>3度目の応募、日の目見る喜び 

小説を書いてみたいと思い立ったのは七年前のことだ。私の勤務先はかなり刺激に富んだ職場であるが、それでも二十年以上サラリーマン生活を続けていると、ある種の倦怠(けんたい)感が心の底に澱(おり)のように積もる。それが閾値(いきち)を超えたところで気まぐれな衝動として現れた。

それまで私は、小説など書いたこともなければ、作文で褒められた経験もなかった。ともかく頭に浮かんだ妄念を無手勝手に繋ぎ合わせ、一年以上もかけて奇天烈なストーリーを捻(ひね)り出した。四十代も半ばを過ぎて小説を書き始めたなどとは恥ずかしくて家族にさえ言えなかった。居間に置かれたパソコンを家族に覗(のぞ)き込まれないよう隠しながら執筆する姿は我ながら情けなく、滑稽だった。書き上がった原稿を手にした時、正直、このまま誰の目にも触れずに最初で最後の作品になると思った。

それが何のはずみか最終選考に残り、憧れの作家に審査いただく機会を得た。およそ受賞には程遠いとの講評を頂戴したが、この時から、小説を世に送り出し、多くの人に読んでもらいたいと本気で考えるようになった。

ビギナーズラックに気を良くした私は、二年後、身の程知らずにも受賞を狙って応募したものの、結局これも最終選考止まり。読者は家内と娘の二名にとどまった。だから今回の受賞で何より嬉(うれ)しいのは、小説を書いていると人様に言えるようになったことと、家族以外の人にも読んでもらえることだ。

非才の私を見放すことなく励ましてくださった恩師のお気持ちに応えるためにも、多くの人に読まれる作品を書き続けたい。

<選評>社会のからくり、真正面から描く 作家・辻原登氏

現代社会のからくりに最も精通しているのは、社会の中枢にいる人間であることは言うまでもない。しかし、おうおうにして、そういう人間はそれを語る文体(スティル)を持っていない。彼らに「物語」を期待するわけにはいかない。止むなく、外側にいる人間(アウトサイダー)に「物語」を頼るしかないわけだが……。

「スコールの夜」の作者が、現代社会の中枢にいるかアウト・サイドにいるのか知れないが、過去に二度、この賞の最終候補に残った彼の作品を読んだかぎり、政治・経済・産業社会のダイナミズムを真正面から小説の言葉によって搦(から)め取ろうと悪戦苦闘していることがよく分かった。その信念と情熱はすでに充分証明されていた。残るは文体の獲得だった。

それを今回の作品で見事に成し遂げた。女性を主人公に据えたことが大きい。むろん、それだけに尽きるものではないが……。

受賞は、信念と情熱と文体の三位一体の勝利である。

<選評>キャリア女性の一級の成長物語 作家・高樹のぶ子氏

「スコールの夜」は組織の中で女性が働く現実と困難さ、男社会が仕掛ける罠(わな)などが、圧倒的な筆力と構成力で描かれている。読み始めてすぐに、これは女性版半沢直樹だと感じたが、対立軸を大銀行の内部に限定し、汚れ仕事と格闘させる組織上層部の非情な顔を炙(あぶ)り出した点では、本作に軍配を上げたい。大銀行の表裏だけでなく、純粋な善意で成り立っているかに見える人道支援活動も実は賄賂が横行し、主人公が学生時代に肉体関係を持った怜悧(れいり)冷徹なだけの弁護士石田にも、迷いの横顔や無邪気な捨て身を演じさせる。万事万物は両義的に存在しているという大人の認識が確保されていて、本作は一人のキャリアウーマンのビルドンクスロマンとして一級である。

「塩の王」は藤原純友の反乱を、塩をめぐる経済小説として魅力的に描いている。不労所得集団VS技能集団、あるいは中央集権化VS地方分権化の構図としても読め、歴史小説でありながら今日的な問題提起にもなっていた。

<選評>作者の腕力・才能、プロとして通用 作家・伊集院静氏

日経小説大賞の選考会に出席するのは二回目になるが、前回、今回と最終選考に残った候補作を読んで実にユニークな選考会だと感じた。まず若い書き手の作品がない。次に応募作が或る程度のレベルに達している。レベルに達している分だけ破天荒な作品がない。そうなると推奨した候補作が受賞し、一冊の小説として世に出た折、どのような成長をして行くかを考えざるを得ない。プロの小説としてかなうのかという目で見ると選考する目が厳しくなる。受賞作「スコールの夜」は読者の目にふれた時、予測できる反響と予測不能な面を持ち合わせていた。作品の導入部から八分目あたりまでは圧倒的な面白さと劇的な強さを持っていた。これは作者の腕力と才能がなせるものだろう。残る二分は不満もあるが、まず八分目まで読者を魅了できたら新人の小説としては上質とするべきだろう。私はその二分に小説の本懐があると思うのだが、作者の力量に押されて受賞を是とした。

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