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朝倉彫塑館謎の地下室 90年ぶりに発見

4年半に及ぶ保存修理工事を終え10月末に再開館した朝倉彫塑館(東京・台東)に未知の地下室が隠されていることが分かった。同彫塑館は「墓守」などで知られる彫刻家、朝倉文夫の住居兼アトリエ。工事中に突然出現した地下室に関係者は首をひねったが、「東洋のロダン」とも呼ばれた朝倉の創作活動と深い関わりのあることが、文化財建造物保存技術協会(文建協、東京・荒川)の調査で明らかになった。

地下室は旧アトリエの床下で見つかった。工事を担当した文建協によると、2011年に構造補強のため床板を取り除いたところ、直径約40センチの陥没穴が現れた。奥を確認しようと掘り進むと土を削った幅2メートルほどの狭い階段が下に延び、「石で入り口をふさいだ空間にぶつかった」(文建協)。

地面から約4メートルの深さがある地下室。いったい、何の空間なのか。

「制作中その儘(まま)その高さに上げることは到底不可能であるから、むしろ地下室を拵(こしら)え」。朝倉は自らの随筆にこう書いている。彫塑館が保管する随筆は未完成のためこれまで公表されず、地下室の存在も忘れられてきた。

東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業前の1906年(明治39年)、朝倉は海軍省が募集した海軍中将の銅像制作で一等に入った。実際の銅像は台座部分を入れると8メートルを超えた。

新築のアトリエで制作を始めた朝倉は、「見る方向で違う形の変化を研究したい」と、下から見上げる像の姿にこだわった。だが、重量のある銅像は持ち上げられないため、土を掘り、自ら地下にもぐった。文建協の担当者は「随筆の記述と一致し、同じものと考えられる」と指摘する。

1923年、アトリエを関東大震災が襲う。今回の発掘で地下室を埋めた土砂からは「石こう彫塑の破片が多数見つかった」(同)という。

ほぼ90年ぶりに姿を現した地下室は調査後埋め戻され、朝倉自ら設計に携わった居室や庭は当時の姿に復元された。修復を終えた彫塑館には彫刻家のこだわりがいくつも潜んでいる。

(千葉支局長 田辺省二)

朝倉彫塑館 朝倉文夫のアトリエ兼住居を改装した美術館。1907年(明治40年)に住居が完成し、35年(昭和10年)にかけて増改築を重ねた。建物は国の登録有形文化財。朝倉は早稲田大学の大隈重信像など多くの彫塑を手掛けた。

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