2019年7月20日(土)

正妻 慶喜と美賀子(上・下) 林真理子著 将軍の複雑な実像に迫る

2013/9/17付
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徳川幕府の最後の将軍となった慶喜は、鳥羽・伏見の戦いの直後に敵前逃亡したこともあって、時代の流れを読んで明治維新を加速させた名君とも、勝てる戦いを捨て敵に政権を渡した暗君とも評されている。

(講談社・各1400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(講談社・各1400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

慶喜の正妻と側室を主人公にする新しい視点で幕末を描いた『正妻』は、今も議論が続く慶喜の評価にも独自の切り口で迫っており、歴史小説好きなら絶対に楽しめるだろう。

公家の今出川家に生まれた美賀子は、年頃(としごろ)になっても恋愛や結婚にあまり興味がなかったが、次期将軍候補の一橋慶喜と婚約が決まっていた一条家の千代君が疱瘡(ほうそう)に罹(かか)ったため、代役として慶喜の正妻となる。

前半は、京から江戸へ下った美賀子が、慣れない武家の習慣に戸惑う姿がコミカルに描かれたり、大奥で女たちの織り成す嫉妬と欲望の渦に巻き込まれたりするので、人間ドラマが中心になっている。

やがて慶喜は、側室おくにの臨終の席にいた町火消・新門辰五郎の娘お芳を見初め、側室になって一緒に京へ行って欲しいと打診。お芳もこの願いを受け入れるので、後半は風雲急を告げる京を舞台に、国内の政治状況、諸外国との外交交渉を追う迫真の政治ドラマになっていく。

著者は、町人であり、将軍の私生活は支えるが、公務とは距離を置く側室でもあるため、武家の世界を客観的に見ていたお芳を通して、英邁(えいまい)だが、女好きで自己愛が強いなど弱点もある複雑な性格だった慶喜の実像を浮かび上がらせている。過剰に持ち上げることも、不当に貶(おとし)めることもなく、冷静に慶喜を描いているだけに、お芳が敵前逃亡してきた慶喜を受け入れる場面と、明治に入り、江戸に残った正妻として逃亡の真実が知りたいという美賀子に、慶喜が語りかける終盤は深い感動がある。

男たちが尊王か佐幕かで揺れ動いた幕末にあって、美賀子とお芳は、ぶれない強い信念を持っていた。このバイタリティは、現代の特に女性読者に勇気を与えてくれるはずだ。

といっても、慶喜と添い遂げることを誓う美賀子と、一時的な関係と割り切るお芳は人生観や結婚観がまったく異なっている。生きざまが対照的なだけに、必ず共感できるヒロインが見つかるように思える。

(文芸評論家 末國善己)

[日本経済新聞朝刊2013年9月15日付]

正妻 慶喜と美賀子(上)

著者:林 真理子
出版:講談社
価格:1,470円(税込み)

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