春秋

2013/8/16付
保存
共有
印刷
その他

シェークスピアの原典とはわずかに違うのだが、戯曲「トロイラスとクレシダ」の一節を白鳥敏夫元駐伊大使は英文のまま墨書した。「世界中の人間はみんな同じ性質で結ばれているんですな」(三神勲訳)といった意味である。ほかにも20人以上の名前が並んでいる。

▼東京裁判の最中、1946年秋にA級戦犯が墨でしたためた寄せ書きがアメリカでみつかった。日系の米兵看守に贈られたものだという。写真に見えるかぎり、署名の前に中国の古典や仏教典から引いた一言を書き添えた例が多い。「ひがし西大平洋につながれてくさびとならむ人ぞ尊き」は重光葵(まもる)元外相の自作だろうか。

▼座右の銘か、書き慣れたお得意か。あるいは日本語がわかったという米兵へのサービスだったのか。万邦協和、諸悪莫作(しょあくまくさ)、鳶飛魚躍(えんびぎょやく)……。寄せ書きにはもうほとんど目にしない熟語がある。そこにこもる心情をいま推し量るのは難しい。他方、一言を添えず名だけ記した何人かがいる。胸には異なる心情が宿ったのだろう。

▼ただはっきりしているのは、名を連ねた人たちが戦時の日本を指導する立場にいたことである。寄せ書きの写真を眺め、のこった教訓めいた言葉を時に辞書で調べながら、思い出した川柳がある。「国境を知らぬ草の実こぼれ合ひ」(井上信子)。70歳を過ぎた一女性が40年に発表した句の方がどれだけのびやかなことか。

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]