2019年5月25日(土)

春秋

2013/8/14付
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「本モノノ空襲警報ガ初メテ鳴ッタノハ昭和十九年十一月一日デアル」。内田百間の戦時日記「東京焼盡(しょうじん)」の序文に、こうある。その日、マリアナ基地から飛来したB29が東京に初めて侵入したのだ。やがて全国の都市を焼き尽くす本土空襲の、これが幕開けであった。

▼大戦の空襲というと、何年間も続いていたイメージがある。しかし敗戦前年の秋までは案外ノンビリ構えていたという。実際に焼夷弾(しょういだん)が雨あられと降りそそぎ始めたのは昭和20年の2月以降である。銃後の国民が逃げ惑い、命を落とし、日本中の都市が炎上していったのは、それからのわずか半年ほどの間の出来事なのだ。

▼「本モノ」の空襲の前に、なぜ戦争をやめられなかったか。歴史をたどれば誰もが思うに違いない。19年7月、サイパン陥落によって米軍が空爆拠点を確保したときに敗北は運命づけられたといわれる。しかし現実に目を向けず、なお1年余にわたって無謀な戦いを続け、かぎりない悲劇を重ねていった大日本帝国である。

▼いまでは太平洋戦争のこういう経緯さえ忘れられがちだ。惨禍を何倍にも大きくした本土空襲には、そして原爆投下には前史があったことをもっと知ってもいい。指導者はやめる勇気を持てず、なお泥沼にはまっていったことを、あらためて悔いてもいい。「熱涙滂沱(ぼうだ)として止まず」。玉音放送を聞き、百間はこう記した。

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