若者の起業、意外と多い成功例 その理由は?
身の丈経営、着実に実績

「起業した人の声を聞かなきゃ」と明日香が訪ねたのは、東京都杉並区に3月、レストラン「ミュー」をオープンした宮島賢さん(34)。イタリア料理店のシェフを経験した後、自分が好きな料理を続けたいと思い、独立したそうだ。パートナーの女性と2人で切り盛りしている。「奇をてらわない、落ち着いた味が特徴です」と宮島さん。地元の30~40歳代が顧客の中心だ。滑り出しは順調だが、多店舗展開などは考えていないと話す。
「成功例は多そうね」。次に、若者を対象に、創業前や創業後1年以内に資金を提供している日本政策金融公庫の門をたたいた。資料を見せてもらうと、2012年度の30歳未満の起業家向け融資は1549件と、前年度に比べ16.6%増えていた。応対してくれた同公庫創業支援室の森本淳志さん(42)は「若者が起業すると売り上げや利益が目標を上回る事例が多いですね」と解説した。

同公庫は11年4~9月の融資先のうち、開業1年以内だった企業にアンケート調査を実施。売り上げ目標の達成率、採算を起業家の年齢層別に比べると、「34歳以下」が「55歳以上」を大きく引き離していた。起業費用は34歳以下が平均1087万円と55歳以上(1479万円)を下回る。起業後の収入を聞くと、増えたとの回答は34歳以下で49.5%で55歳以上の21.4%の2倍以上だった。「若い人の方が手堅く事業を展開している傾向が強いからです」
公庫で融資を受け、昨年、美容室「ミル」(東京都練馬区)をオープンした宇都三千代さん(34)も堅実経営。別の美容室の雇われ店長をしていた時に、夫に背中を押された。「地域密着型のお店を目指しています」と話すように幅広い年齢層に支持され、収益を伸ばしている。7月には男性社員を雇い入れた。「現実をしっかり見ながら、次の展開を考えます」
経済活性化には限界
「過度な期待をせず、事業を絞り込んで地道に努力する若者が成功しています」。明日香の報告に所長は納得しない様子。「起業の準備は大変だぞ。資金の出し手がいて、起業家が地道に努力すれば、それで成功率は高まるのか」

明日香が調べると、最近の政権は起業家の育成を目標に掲げ、安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」でも起業の加速がうたわれている。「政府の支援は厚くなっているようね」
そこで、10~11年度に内閣府の委託を受け、研修や支援金の提供を通じて若者の起業を促す事業を展開したNPO法人、ETIC.(エティック、東京都渋谷区)に向かった。委託事業は39歳以下が応募の条件で95人の起業を支援。起業時の年齢は、半数近くが26~30歳で、企業の勤務経験がある人が多かった。
支援事業に携わった加勢雅善さん(33)は「大手企業に就職を希望する若者はなお多いですが、支援する組織や制度が充実し、起業も選択肢の一つになっています」とみる。政府の委託事業は終了したが、今後も継続して若者の起業を促すという。
中高校生にIT(情報技術)教育の場を提供する「ライフイズテック」(東京都目黒区)社長の水野雄介さん(30)はエティックから支援を受けた。高校で物理を教えていたが、大学卒業後も就職できない学生が多い現状に疑問を感じて起業した。「デジタル技術に慣れ親しんだ中高校生の中から、世界で通用する人材を育てたいのです」と教育改革への意気込みを語る。
起業家育成の看板を掲げるビジネススクールの社会起業大学(東京都千代田区)も支援組織の一つ。ここに通いながら、井上洋市朗さん(28)は辞めない若手社員を育てる方法を企業に伝授するサービスという事業計画を練り上げた。12年春に創業した研修や調査サービスを手がける「カイラボ」の本社登記は同大学内。「常に動き回っているので、自前のオフィスは当面要りません」とほほ笑む。
「視野を世界に広げ、大きく羽ばたく起業家を応援しています」。「HUB Tokyo」(ハブ東京、東京都目黒区)社長の槌屋詩野さん(34)はこう話す。英国で、発展途上国の起業家と日本企業との橋渡しをしていた槌屋さんは、世界約30都市で起業家を支援する「HUB」の活動を日本にも広げようと12年春、会社を立ち上げた。作業空間を貸したり、事業を軌道に乗せるために助言したりする。「将来性がある起業家に資金を提供したい投資家はたくさんいます」

明日香は専門家の意見を聞くため、専修大学ソーシャル・ビジネス・アカデミー(大学院)校長で同大学教授の徳田賢二さん(65)の元に出向いた。「若者が起業するハードルが下がっているんです」。起業したい人が集まる交流サイト(SNS)、安価な貸しスペースの普及、資本力よりもアイデアや熱意が問われるサービス分野の広がり――。若者に有利な環境が整ってきたと徳田さん。「私の講座に通う学生の約2割が将来の起業を希望しています。若者の起業は急増しそうです」
総務省の07年の調査では、日本で起業を希望する人(約100万人)のうち30代が3割弱、30歳未満が約2割。余地は大きい。
「地道に努力する人もいいけど、もっと野心を前面に出す人はいないかしら」。明日香が再度調査を始めると、JX通信社(東京都中央区)社長の米重克洋さん(24)に出会った。
米重さんは大学に籍を置きながら、19歳で起業した。3人でスタートし、14人に増えた従業員の平均年齢は22歳。ソーシャルメディアの活用支援、ニュース検索などを軸に成長を目指す。「IT業界には目標にできる企業があり、励みになります。会社をどんどん大きくして3~4年の間に株式公開するつもりです」と目線は高い。ただ、日本をけん引する若者の起業はまだ限られているのが現実だ。
最後に中堅・ベンチャー企業の支援に10年以上携わる日本総合研究所・主席研究員の手塚貞治さん(44)に意見を求めた。「日本経済が、失われた20年と呼ばれた低迷期に育った若者たちは幻想を抱かない傾向が強いので、身の丈に合う合理的な計画を立て、たんたんと起業するのです。身の丈起業だけでは日本経済は活性化しません。若者にはもっと大きな夢を持ってほしいですね」
すべての報告を終えると所長は「数年後に今回の若者起業家たちを追跡調査しよう」と切り出した。明日香は小声で一言。「私も独立を考えてるんだけど」
(編集委員 前田裕之)
[日経プラスワン2013年8月10日付]
関連キーワード