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ヤマネコ・ドーム 津島佑子著

死者が息づく独自の文体

小説家が現実の歴史に対峙しようとしたとき、その方法としては、虚構の物語を紡ぎ出してゆくしかない。地震と津波に見舞われ、自分たちの内部から三度目となる「被爆」を生み出してしまった現在、日本という近代国家に「世界の終わり」を突きつけてしまった戦後とは一体何だったのか、物語として問い直す。津島佑子が最新の長篇(へん)に込めた祈りのような想いだったはずである。歴史に対して物語の優位があるとすれば、なによりそれは死者たちの記憶を生々しく甦(よみがえ)らせてくれる点にある。

津島は、生者の物語に死者の物語を重ね合わせる。生者のすぐ隣に死者が息づいているような独自の文体が編み出され、過去と現在が自在に往還される。そして、母と子供たちの関係性が様々な形で変奏されていく。

戦争によって生まれ、親に捨てられた混血の孤児たちが集う「ホーム」。その「ホーム」で育てられた父をもたない子供たちは、世界のあらゆる場所に出て行き、逞(たくま)しく生きる。世界に散在しながらも一つにつながり合っている。

彼ら、彼女らは、おそらく同じ時代を生きた作者の分身でもある。日本と日本語は、世界の血が混じり合った、故郷をもたない子供たちによって担われなければならないのだ。

「髪の毛が縮れた黒い男の子」カズと「肌の白い、鼻のとがった男の子」ミッチは、「ホーム」とごく近い関係にあるヨン子とともに、偶然に、「ホーム」の少女ミキの死の現場に立ち会ってしまう。その死に関わっていたのは、やはり父をもたず母だけに育てられたター坊だった。

以降、ター坊は数年に一度、「冷たい石」になる発作に取り憑(つ)かれ、その発作とともにミキと同じように「オレンジ色を体のどこかにまとった見知らぬ女性」が殺されていくことになる。カズ、ミッチ、ヨン子は、反復される事件のたびに「タマシイの傷」を確認し合わなければならない。

物語の最初と最後は現在に戻る。カズをはじめ何人かの仲間を失ったミッチとヨン子は、ター坊を自死によって失いながらいまだ生き続けているその母と共生しようとする。歴史に拮抗する、小説の新たな次元がひらかれている。

(文芸評論家 安藤礼二)

[日本経済新聞朝刊2013年6月30日付]

ヤマネコ・ドーム

著者:津島 佑子
出版:講談社
価格:2,100円(税込み)

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