2019年9月18日(水)

亡びゆく言語を話す最後の人々 K・デイヴィッド・ハリソン著 翻訳できない言葉の叡智

2013/6/19付
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私たちの日常的な言語観を根底から変革する、すばらしい手引書があらわれた。著者は、地球上で失われつつある言語が集中する「言語のホットスポット」に赴き、「最後の話者たち」の言葉と語りを記録する作業を続けてきた行動派の言語学者である。

(川島満重子訳、原書房・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(川島満重子訳、原書房・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

一つの言語の死とは、僻地(へきち)に住む他者の言語の消滅という局地的な余所事(よそごと)ではない。たとえば生物種の消滅と言語の消滅の間にある相関関係はとても示唆的だ。未知の生物種が記録されぬままに消えているように、言語もまた知られぬままに消えようとしている。そして、そうした科学的に特定されていない生物種とその生息地についての甚大な知識を有しているのが、まさに危機に瀕(ひん)した言語の話者たちなのである。ならば彼らの言葉の消滅とは、自然界について人類が持っていた豊かな智慧(ちえ)が失われていくことを意味する。

ボリビアのカラワヤ族のもつ薬草にかんする驚くべき知識。アラスカのユピク族が99種類の海氷の形状を言い分ける繊細な表現。シベリアのトファ族がトナカイの群れを識別するときの魔法のような呼び名。他言語には翻訳できない言語的な叡知(えいち)、繊細なことばの陰翳(いんえい)あるリズムが本書から聴こえてくる。そのとき、それらの言葉も私たちのかけがえのない一部なのだ、と私たちは確信する。

言語は私有するものではなく、分かち合うものなのだ。こうした理解は、「最後の話者であること」を引き受け、それを他者と分かち合う人々がいるという現実を知ることで深められる。言語学者と協力して言葉の現状を記録してゆくためには、他者と共有できる言語の習得もまた、智慧の媒介として決定的に重要だった。「最後の話者」であるためには、現代の多言語的な現実にむかって参入してゆく勇気も必要だったのだ。

トファ語の最後の話者である老女は言った。「もうすぐ私もベリー摘みに行くよ、そのときはこの言葉も一緒に連れていくさ」。たとえトファ語の話者が消えても、「死」という観念を「ベリー摘み」という具体の言葉で言い表す人々のもつ智慧を、私たちはもう忘れることはできなくなる。

(文化人類学者 今福龍太)

[日本経済新聞朝刊2013年6月16日付]

亡びゆく言語を話す最後の人々

著者:K.デイヴィッド ハリソン
出版:原書房
価格:2,940円(税込み)

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