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「主権回復の日」に考えるべきは何か

61年前のきょう、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立を回復した。政府はこれを祝う「主権回復の日」記念式典を初めて開催する。この行事をどう受け止めたらよいのだろうか。

政府内には講和条約締結60年だった2年前から祝賀行事を開いてはどうかという声があったが、民主党政権下で日米関係がぎくしゃくして見送りになった。野党だった自民党は衆院選の公約に式典開催を明記した。その実行である。

気になるのは行事の前史だ。1997年に「主権回復の日」の政府式典開催を求める学者らが集会を開いた。趣意書には「占領軍即席の憲法」との表現がある。参加したのは、先の戦争は聖戦で、東京裁判は不当な断罪と考える人たちが多かった。

政府式典がこの延長線にある行事だとすれば、多くの国民が首をかしげるだろう。自民党もその時点では式典開催に動かなかった。きょうの政府式典を開く原動力になった主権回復記念日議員連盟の考え方はこれと同じではない。

そもそも日本はなぜ主権を失ったのか。正義は日本にあったが、力及ばず負けたからなのか。そうではなく、日本が誤った道を選んだことこそ原因ではないのか。議連の野田毅会長は戦後日本の出発点の日を明確にすれば、それまでの日本がどんな失敗をしてきたかが浮き彫りになると説く。

日本は戦争責任がどこにあるかを曖昧にしてきた。それが歴史認識の食い違いを生み、戦後68年を経てもときに周辺国とあつれきを生む一因になっている。

戦争に突き進んだ道筋を振り返れば、中韓との関係改善の道もみえてこよう。政府式典の正式名称に「国際社会復帰」という単語が足された狙いもそこにある。

61年前の主権回復の枠外に置かれた沖縄では「我々を見捨てた日を祝うのか」との反発が出ている。仲井真弘多知事は「県民には複雑な感情がある」と式典への出席を見合わせた。そうした心情も理解する必要があろう。

ただ、主権を取り戻した日本が米国に粘り強く働きかけ、長い交渉を経て返還にたどり着いた経緯も忘れてはならない。

沖縄との溝はどうして埋まらないのか。答えを出すには本土の人がその疑問を意識する機会が多いほどよい。「主権回復の日」はそんな日にもなり得る。じっくりと考えたい。

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