謎の独立国家ソマリランド 高野秀行著
安定した「空白地帯」の実態
イスラム教国で、海賊がいる。アフリカ大陸の東端、ソマリアと呼ばれる地について、大方の日本人が知っているのは多分、そのぐらい。なにしろ一部は「無政府状態」で、「国」だと主張しているが国連は認めていないという。

ところがその地図上の空白は、意外に安定しているとか。本当?
そんな「国」ソマリランドを、実際に見にいくことにしたノンフィクション作家による一冊。いわば紛争地域についての、かなり分厚い本なのに、印象は明るく、文章は軽快。ところどころ、はしゃいでいる感さえある。むむむ。
ソマリ社会の根幹という氏族とその分家、分分家、分分分家……を説明するため、それらをイサック奥州藤原氏、ダロッド平氏、ハウィエ源氏、等と呼ぶ。わかりやすい工夫だが、こうしたあだ名を地図や年表にも用い、バーレ元大統領を「バーレ清盛」と呼ぶのには賛否両論ありそう。植民地支配の影響はもっと詳しく知りたい。
などとこまかいところにひっかかりながら読むうちに、大きな問題のほうが気になり出す。
国家として認められている南部に、日本も含め国際社会は莫大な経済的・人的支援をつづけてきたが、内戦は止(や)まない。ところが空白地帯のはずの北部では、武装解除にほぼ成功、通貨価値も安定。人々に話を聞き、理由を探る。氏族の掟(おきて)に従い、トラブルは賠償金で清算、政治は民主主義。国際社会が無視し、資源も産業もないから、汚職も紛争もないという。
しかし、とさらなる探求を決意した著者はソマリ難民キャンプから「海賊国家」プントランドへ、そして(これも著者独特の比喩だが)「リアル北斗の拳」南部ソマリアへと、ますます危険な地域に入っていく。迂闊(うかつ)にも、といった調子で、運と人脈とカート(アラビアチャノキ)の刺激を頼りに。
あ然とする話がいくつもある。海賊を撮影したい、というと、即見積もり。海賊の日当、バズーカのレンタル、専門の通訳、有力者への上納金。現実的なビジネスの実態がわかる。海賊って「個人営業」の日雇い労働だったのか。
国家、法、そして国際社会とは。大きな問いが自然にわいてくる。
(比較文学者 中村和恵)
[日本経済新聞朝刊2013年4月7日付]