2019年3月19日(火)

還れぬ家 佐伯一麦著 私小説の時空と現実との交差

2013/4/8付
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冒頭、父親がアルツハイマー型認知症だという宣告を受ける。子供らが誰も寄りつかない家で病状を悪化させる父親。介護に疲弊する母親。同じ仙台市内に住む「私」は、妻とともに彼らを支援し始めるが、「私」の心には父母に対する根深い葛藤がわだかまっている。そういう日々が、私小説的に、丁寧に分厚く叙述されていく。

(新潮社・2300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(新潮社・2300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

老いるとは厄介なことだ。老い呆(ぼ)けていく親を看取(みと)るとは難儀なことだ。身につまされる読者は多いだろう。だが、それとは別に、この小説には劇的な出来事が刻印されている。

父親が認知症の宣告を受けたのが2008年3月11日。本作の雑誌連載が始まったのが翌09年3月発売の4月号。父親は発売直後の3月10日に死亡する。そして、連載がなおも、衰えゆく父親の姿を丹念に叙述しているさなかの11年3月11日、東日本大震災が起こる。

そのとき、小説の叙述に緊張が走り、劇的な変化が生じる。「小説に段差が生まれる」。作者はあえて、その「段差」を露呈させる書き方を選んだ。書かれた回想の時間に書く現在が介入して、小説が一気に深さと広がりを獲得する。

3月11日という日付から始まっていたのは何という暗合だったことか。作者は、高校生の「私」が女川原発に反対して家族と対立したときの日記も引用していたのである。そして何より、震災は実に多数の人々に「還(かえ)れぬ家」をもたらした。私的な不幸としての心理的に「還れぬ家」の小説が、大量の悲劇としての物理的に「還れぬ家」に遭遇するのだ。3月11日は、最も私的なはずの私小説の時空を、突然、最も公的な時空と交差させたのである。

あたかも現実を先取りしていたかのようなこの事態を、昔のロマン派なら、作家の「呪われた栄光」と呼んだかもしれない。

書くという行為には時々こういう予期せぬドラマが起こる。私的体験に密着した私小説であるにもかかわらず起こるのではない。私小説だからこそ起こるのだ。私小説は、書かれた過去の「私」の背後に書く「私」の現在がぴったり貼りついた小説だからである。

(文芸評論家 井口時男)

[日本経済新聞朝刊2013年4月7日付]

還れぬ家

著者:佐伯 一麦
出版:新潮社
価格:2,415円(税込み)

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