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春秋

満員の通勤電車の中で、しくしくと泣く声が聞こえた。誰もがハッとしたけれど、声の主を探して見回す人はいなかった。言葉をかけて、なぐさめる人もいなかった。みんな前をむいたまま、黙って動かなかった。車輪の音と泣き声を除けば、とても静かな車内だった。

▼その空気と時間の慈しみを、今もはっきり思い出し、感じることができる。津波から数日たっていた。遠く離れた東京が、被災地とつながっていた。「心を込めずに言葉を探すより、言葉を探さずに祈りに心を込める方がよい」。インドの指導者ガンジーがそう語っている。あの時ほど、言葉が無用だと知ったことはない。

▼東日本大震災から2年がたつ。にぎやかさが都会に戻り、東北の現場には工事の音が響いている。何が変わり、何が変わらなかったのだろう。42人が犠牲になった南三陸町の防災庁舎は撤去と保存の両論に揺れながら、鉄骨むき出しの姿のまま建っている。記憶の跡を消したい遺族もいるが、ここで祈る人が後を絶たない。

▼人が一心に祈るとき、本当に必要なものは、わずかな場所と時間だけらしい。祈りの先には必ず相手がいる。それは別れた家族かもしれないし、復興に頑張る働き手かもしれない。人と人が線で結ばれ、無数の見えない糸が日本中に張りめぐらされる。14時46分。また静かに目を閉じてみる。たぶん特別な言葉はいらない。

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