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大原孫三郎 兼田麗子著

個人の尊厳を重視した経営者

五百町歩という日本最大級の大地主で、倉敷紡績を擁した地方財閥の実質的な2代目、大原孫三郎の伝記である。時代は日本経済が動揺を繰り返した明治末から昭和前期にかけてである。孫三郎は、倉敷紡績の成長基盤を固め、合繊、電気、銀行、新聞など多方面の事業展開を行っただけでなく、大原美術館、総合病院、そして農業技術にかかわる研究所と労働問題のための大原社会問題研究所、民芸運動支援のための日本民芸館設立など様々な社会事業を行ったことで知られる。

本書で著者は、経営者としての孫三郎に注目し、その新事業の将来性に対する鋭敏な感覚、先見性などを強調する。ただ巨大な家産をバックに、地域経済を支配していた地方財閥の事業展開として、孫三郎の行ったことがどの程度卓越していたのかは本書からはあまり伝わってこない。むしろ興味深いのは、孫三郎の社会とのかかわり、特に社会事業における姿勢に関する本書の議論である。

孫三郎は自分の行う事業の立場を「人格向上主義」と表現するに至ったとされる。すなわち渋沢栄一のような国家主義的な公利でもなければ、武藤山治のような家族的温情主義でもなく、個人の人格の尊厳を、その社会事業ひいてはビジネスを含む事業全体の基礎に据えたのである。孫三郎の生きた時代は日本に西欧的な個人主義が急速に支持を広げた時代であった。地方都市の倉敷においてもそうであり、孫三郎のこの考え方は大正デモクラシーが地方のイニシアチブで推進されたことの一つの裏付けでもある。

また彼の事業が単なるキリスト者的な人道主義や隣人愛によるものではなく、より積極的に個々人の人格や人的資本の質の「向上」を目指したことは特記されるべきであろう。紡績工場の女子労働者のために行った寄宿舎改良の大工事に見られる住みやすさと働きがい向上への配慮、小作人の技能と生産性を高めるための基礎研究推進に払った努力、本物の絵画をふだん目にすることのない画学生の教育を目的としての美術館の建設など、である。

企業の文化事業の在り方、地方分権の進め方、日本社会における人的資本の意味など様々な問題を考えさせてくれる好著である。

(一橋大学名誉教授 寺西重郎)

[日本経済新聞朝刊2013年3月3日付]

大原孫三郎―善意と戦略の経営者 (中公新書)

著者:兼田 麗子.
出版:中央公論新社
価格:924円(税込み)

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