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私の日本古代史(上・下) 上田正昭著

半世紀にわたる「古代学」の歩み

本書は、長年日本古代史の研究者として一線で活躍してきた上田氏がその蓄積によって「列島のあけぼの」から律令国家の成立までの歴史を書いたものだが、そこに上田氏自身の歴史学者としての歩みが重ねられている。したがって第2次世界大戦後の約半世紀の「古代学」の歴史としても読める。

(新潮社・上1500円、下1400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

「古代学」とは、歴史学、考古学、民俗学、文学など様々な学の成果、見方を抱え込んで日本の古代をみようとする方法といっていい。戦後、古事記、日本書紀などの文献を皇国史観から取り戻していくなかで、古代を明らかにするためにとられた。上田氏はその方法を中心的に推し進め、多くの成果をあげていった。例えば、この「古代学」としての発想による上田古代史は、民俗学の見方である「信仰」を社会の始原におき、王者を祀(まつ)る者として捉えている。

評者の専門領域は古典文学だが、学生時代から上田氏の著書にも随分学ばせていただいた。そして評者自身、考古学も民俗学も、さらに文化人類学もというように、様々な分野のものも学びながら文学を考えていくのを当然のように思っていた。「古代学」という言い方が活(い)きている時代があった。

本書を読むことで、上田氏の研究史、そして戦後の研究史、自身の歩みなどが考えられて感慨深かった。何よりも、この豊かさに対し、今の学の貧しさを思った。

自然科学のことは知らないが、現在、たぶんどの研究の分野でも細分化された状況が続いている。かつて盛んに学の領域の越境がいわれ、新しい学の領域が増えるようになったのだが、気づいてみれば、知は何か一部を明らかにするだけの軽いものになっていて、人文科学でも社会科学でも大きく人間や社会全体を問うものではなくなっている。いうならば知は消費されるものになっていっただけで、むしろ全体への関心を薄れさせていったように思える。

1980年代近くまでの学者の書くものは一般読者も読めるものが多かった。専門を超え、人間、社会、文化などに関心があれば訴えてくるものがあったのである。

本書は学がわれわれにとってどういうものかを改めて考えさせる書物である。

(武蔵大学教授 古橋信孝)

[日本経済新聞朝刊2013年2月17日付]

私の日本古代史(上): 天皇とは何ものか――縄文から倭の五王まで (新潮選書)

著者:上田 正昭.
出版:新潮社
価格:1,575円(税込み)

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