2019年8月22日(木)

信長影絵 津本陽著 暗い情念が進ませた修羅の道

2013/2/12付
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大ベストセラーとなった『下天は夢か』から約25年、津本陽がまったく新しいアプローチで織田信長を描いたのが『信長影絵』である。

(文芸春秋・1900円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(文芸春秋・1900円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

バブル景気が華やかな1980年代後半に「日本経済新聞」に連載された『下天は夢か』は、成長を続ける日本経済そのままに、鉄砲の大量導入や情報の重視、楽市楽座といった革新的な戦略で天下人を目指した"光"輝く信長に着目していた。これに対し本書は、安土城建設までの前半生に焦点を当て、信長の心の奥に潜む"影"を浮かび上がらせているのだ。

尾張統一のため同族と戦った父の信秀を見て育ち、弟の信行ばかりを可愛(かわい)がる母の土田御前に疎まれていると感じていた信長は、血縁でも心を許さない猜疑(さいぎ)心と、いつ死んでも構わないという破滅願望を身にまとっていく。そして唯一愛した女性・吉野(きつの)を病で亡くしてからは、負の感情に拍車をかけていくのである。

身分が低くても有能であれば取り立てた斬新な人事も、寡兵で今川義元の大軍を破った桶狭間の戦いも、信長が天才だから成し得たのではなく、常人にはうかがい知れない深い怨念から生まれたとされているので、今までにない戦国史を目にすることになるはずだ。

尾張統一戦、美濃攻略、浅井・朝倉との死闘、本願寺との泥沼の戦いなども圧倒的なスペクタクルで活写されているが、その背後には、攻撃本能を満足させ、陶酔感に浸りたいという信長の暗い情念が置かれているので、爽快感より息苦しさを感じるように思える。

心の闇にとらわれ、肉親であっても信用せず、敵はどんな手段を使ってでも殲滅(せんめつ)する修羅の道を進むしかなかった信長は、領土を拡(ひろ)げ、多くの家臣を隷属させることで己の空白を埋めようとする。だが、金も名誉も手に入れた輝かしい舞台に立ちながら、心を許せる家族も、相談できる家臣もいない信長は、孤独感にさいなまれる。

タイトルそのままに、著者が信長の"影"に迫ったのは、バブル崩壊後に到来した戦国時代に匹敵する弱肉強食の社会を生きる現代人に、競争に勝ち抜いた先に真の幸福があるのかを問い掛ける意図があったのではないだろうか。

(文芸評論家 末國善己)

[日本経済新聞朝刊2013年2月10日付]

信長影絵

著者:津本 陽.
出版:文藝春秋
価格:1,995円(税込み)

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