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赦す人 大崎善生著

豊かな人生経験と独特の勝負勘

力将棋という言葉がある。要するに、本でおぼえた知識の将棋ではなく、体でおぼえた体験の将棋で、混沌とした局面になればなるほど不思議な豪力を発揮するタイプを指す。晩年には将棋に入れこみ、道楽で「将棋ジャーナル」という雑誌の経営に財産を注ぎ込んで、ほとんど一文無しになってしまった、「鬼」こと『花と蛇』のSM作家団鬼六は、生涯から作家活動まで、そのすべてがいわば力将棋だった。本書『赦(ゆる)す人』は、その団鬼六の破天荒な人生を綴(つづ)った評伝である。これがおもしろくないわけがない。

(新潮社・1900円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

団鬼六の母親は、最初作家を志望し、後に松竹専属の女優になったという。この母親をめぐる人間関係だけでも、直木三十五、久米正雄、国木田虎雄(独歩の長男)、岸田劉生、芥川龍之介といった名前がぞろぞろ出てくる。育ちが違うな、と感嘆せずにはいられない。父親が金と女ですったもんだを繰り返していたというのも、業の深さを感じさせる。

本書で最も興味深いエピソードは、もともと小説家を志望していたのに、少しも小説が書けずに悩んだ経験を持つ著者が、団鬼六にどうやって文学修業をしたのかとその秘密をさぐりだそうとするくだりだ。団鬼六は、25歳で初めて小説を書いたときのことをこう語る。「筋書きも何も考えずにとにかく書き出したんや。そしたらうまいこと終(しま)いまでいってもうた」

これだから力将棋の人には勝てないな、とつくづく思う。無茶苦茶(むちゃくちゃ)をやっているようで、そこには豊かな人生経験に裏打ちされた、独特の勝負勘がある。それを生命力と言ってもいい。それだからこそ、団鬼六が書いたものは読者をつかんで離さないのだ。

壮絶な人生だが、そこにはスカッと抜けた明るさがあるように感じられるのは、対象に対する敬意と憧れに満ちた著者のまなざしのせいだろうか。団鬼六がしばしば標榜した「ただ遊べ/帰らぬ道は誰も同じ」という小唄の文句どおりに、何も考えずにとにかく生きたら、「うまいこと終いまでいってもうた」ような生きざまは、他の誰にも真似(まね)できない、理想の一局のように読者には映るはずだ。

(英文学者 若島正)

[日本経済新聞朝刊2013年1月27日付]

赦す人

著者:大崎 善生.
出版:新潮社
価格:1,995円(税込み)

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