2018年11月15日(木)

田中角栄 早野透著 戦後を象徴する政治家に密着

2012/12/26付
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戦後を象徴する政治家だった。15歳で上京して工事現場で働き、建築事務所を起業した田中角栄は、満州に出征するも病気で内地送還となった。やがて土建会社を創業し、朝鮮で終戦を迎えた。

(中公新書・940円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(中公新書・940円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

田中は政界入りすると、郵政相、自民党政調会長、蔵相、自民党幹事長、通産相を歴任した。54歳の若さで首相に就任し、中国と国交を樹立した。

番記者が描く本書は、周恩来との会話をはじめ、田中に密着した著者ならではの記述に満ちている。首相時代から葬儀まで田中邸に足を運び続けただけではない。志願して朝日新聞の新潟支局にも赴任し、新潟三区を一年半つぶさに探索した。越山会による公共事業の査定現場にも潜り込んでいる。

田中には利権や談合がついて回る。無名時代には道路立法を策定し、道路の整備を進めた。岸信介内閣で郵政相として初入閣すると、テレビ免許の大量公布によって郵政事業にも利権と集票の牙城を築いた。蔵相としてはエリート官僚の心をつかみ、山一証券を救済した。自民党で最長記録となった幹事長時代には、国対政治の原型を作っている。「日本列島改造論」の源流は、生地の柏崎における「農村工業」だという。

首相として日中国交正常化を断行すると、石油危機や狂乱物価が田中に逆風となった。総選挙にも敗れた。意欲を示した小選挙区制は「角栄の暴走」と評される。金権と女性関係が暴露され、田中内閣は退陣した。

ロッキード事件後も自民党総裁選では田中邸に日参するなど、取材は執念を感じさせる。トウ小平が1978年に田中邸を訪れたとき、「角栄は朝からうきうきして、背広にゲタを履いて庭をうろうろしていた」。83年にロッキード事件判決後の総選挙で大勝すると、田中は「二二万票は田舎のつらい思いが爆発したんだよ」と著者に語った。心を開いていればこそ、「男にとって女は砥石(といし)だ」とまで口にした。

後年、構造改革について問われた小泉純一郎は、「構造っていうのは、田中角栄がつくった政治構造のことだよ。(中略)それを変えるんだ」と答えた。田中政治は遠い昔のことではない。

(中央大学教授 服部龍二)

[日本経済新聞朝刊2012年12月23日付]

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

著者:早野 透.
出版:中央公論新社
価格:987円(税込み)

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