祝祭の書物 安藤礼二著
多様な作家を結びあわせる批評
文芸誌「文学界」連載の「雑報」をまとめたもの。「後記」によれば雑報とは、フランスの象徴派詩人マラルメに由来し、「あらゆる表現のジャンルを横断し、それらを自在につなぎ合わせることができる」メディアという。〈雑〉なるもののハイブリッドな可能性を極限まで追求した文芸批評である。

三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹をはじめとして、著者が長年親炙(しんしゃ)する民俗学の折口信夫、仏教学の鈴木大拙、イスラーム学の井筒俊彦、神秘主義思想家スウェーデンボルグ、フランスの作家ジュネ、アメリカのSF作家ディレイニーなど、洋の東西にわたる、多士済々な面々が論の対象となる。
それら一見してかけ離れた作家を一書に結びあわせる著者の卓越した技術に、本書に言う「産霊(むすび)」の神のめざましいはたらきが認められる。
「産霊」とは折口の用語で、外部の世界からマレビトが訪れることによって、宗教や文学や芸能が発生する、神秘なパワースポットを指す。著者もマレビトになって多様な作家に憑依(ひょうい)し、その〈結び〉を透視するのである。
フレイザーの『金枝篇(きんしへん)』にもとづき、ともに2009年に刊行された大江の『水死』と村上の『1Q84』という二大長篇に、王殺しのテーマが読みこまれるのは、そのみごとな一例だろう。
ニーチェのツァラトストラとマラルメのイジチュールを一体化した『差異と反復』の哲学者ドゥルーズにならって、シンプレックス(一元的)な次元や、コンプレックス(複合的)な次元ではなく、流動する視点から変容するマルチプレックス(多元的)な次元が掘り下げられ、とても読み応えがある。
フィリップ・K・ディックやディレイニーのSF、村上の長篇『アフターダーク』では、情報世界に出現するゴーストたちが活躍する。世界は「私」や「あなた」の区別を失い、無数の幽霊的なものに覆い尽くされる。
そうしたシミュラークル(ボードリヤールの言う模像)の躍動する仮想現実の報告――小林秀雄、渋澤龍彦の衣鉢を継ぐ、すぐれてアクチュアルな評論である。
(文芸評論家 鈴村和成)
[日本経済新聞朝刊2012年11月18日付]