正岡子規 ドナルド・キーン著 個人を重視する視点から描く

2012/10/9付
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「えっ、これが子規?」と思った。びっくりの評伝である。私などの子規像とはずいぶん異なるし、今までに書かれた数多い評伝の子規とも大きく違っている。

(角地幸男訳、新潮社・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(角地幸男訳、新潮社・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

どこが違うか。まず句会や歌会、山会(文章の研究会)、蕪村句集の輪講などが出てこない。これらは俳句や短歌、そして子規の文学活動の核になった場である。また重病人ながら驚くほどに食べた子規も登場しない。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」も「くれなゐの二尺伸びたる薔薇(ばら)の芽の針やはらかに春雨のふる」も話題にならない。

十二章にわたって描かれているのは、士族の子として育った少年・子規、英語力がかなりのものだった学生・子規、喀血(かっけつ)したころの漱石との出会い、小説を書く子規、新聞記者の子規、中村不折と出会って写生を実践する子規、俳句を革新した子規、新体詩と漢詩を作る子規、短歌の改革をした子規、晩年の随筆を書く子規、そして最後に、死の直後の友人や弟子の証言と子規の功績である。

キーンさんは、子規という単独の個人の活動を描いた。個人重視の、つまり欧米的なその視点が、句会などの共同の場の無視になったのだろうか。母や妹に対する子規の言動が非難されているが、それは子規が対等の個人として母や妹に向き合っておらず、まるで召使のように妹を扱ったから。この明確な見方、賛否は分かれるだろうが面白い。

では、子規の功績についてのキーンさんの意見を紹介しよう。

子規は「昔から賛美されてきた自然の美」を無視したが、でも、日本人は今なお梅、桜、紅葉という昔ながらの自然の美を喜んでいる。子規の系譜につらなる詩人たち(俳人や歌人)は、それらの自然の美を好まず、「俳句や短歌を作ることで現代の世界に生きる経験」を語っている。

キーンさんのこの意見、ことに、現代の世界に生きる経験が俳句や短歌の活力になったという指摘に納得する。だが、昔ながらの自然の美も依然として俳人や歌人に好まれている。現代を生きる体験を通して自然の美も詠まれており、実はそれは子規も同様だったのでは? キーンさん、どうですか。

(俳人 坪内稔典)

[日本経済新聞朝刊2012年10月7日付]

正岡子規

著者:ドナルド キーン.
出版:新潮社
価格:1,890円(税込み)

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