デジタル時代に文房具市場が熱い理由
会社支給減り個人が選択

「文具売り場の売り上げは前年比でも増えて好調です」。東急ハンズ渋谷店(東京都渋谷区)を訪ねると高部直之さん(38)が出迎えた。こすると摩擦熱でインクが消えるペンや、色が濃く履歴書を書くのに適した「就活ペン」が売れ筋だ。「次々に新商品が出るのでお客さんも飽きないようです」と高部さん。
「地味な売り場だと思っていたけど、活気づいているな」。章司はメーカーの動向を知ろうと日本筆記具工業会事務局長の春田恭秀さん(58)を訪ねた。
「円高や新興国の台頭で苦しいのは他の製造業と同じ」と春田さんは説明する。100円ショップなどで売っている中国製ボールペンのコストは実に日本製の4分の1。「国内メーカーは価格ではなく品質や機能で勝負するようになったのです」。その成果もあって5~6年前から全く新しい商品が相次いだという。
民間調査会社の矢野経済研究所(東京都中野区)の推計では、2011年度の事務用品全体の市場規模は前年度比1.3%減。一方、ノートとボールペンに限ると同1.1%増。経済産業省の統計でも、ペン類の出荷額は09年の990億円から、11年に1085億円まで持ち直している。
「メーカーにも事情を聴こう」。章司はパイロットコーポレーション(東京都中央区)の営業企画グループ課長、川島俊二さん(43)を訪ねた。「10年ごろから文具ブームに火が付き、当社の"消せるペン"の販売も伸びました」と川島さん。雑誌やテレビが大きく取り上げ、手帳術やノート術を扱う書籍の出版も相次いだ。「最近はドラッグストアや書店などでも文具を扱う店が増えていますよ」
「どうして文具への関心が高まったんだろう」。章司は大手筆記具メーカーのぺんてる(東京都中央区)を訪ね、執行役員商品戦略部長の耒谷(きたに)元さん(55)に尋ねた。「ブームは08年のリーマン・ショック後の景気低迷がきっかけです」と耒谷さん。業績が悪化した企業はコスト削減のため社員に支給していたペンなどを購入しなくなり、メーカーの売り上げも大幅に落ち込んだという。
「それがなぜブームに?」。過去10年、メーカーは新機能を持つ文具を開発していたが、必ずしも知られていなかった。消費者が自分で買うようになったことで「新機能製品が文具店で"発見"されるようになったのです」と耒谷さん。
職場の変化、おしゃれ許容

次に訪ねた事務用品通販のアスクルの執行役員事業本部長の林圭一郎さん(47)も「リーマン直後は低価格品が売れ筋だったのに、最近は女性に人気のカラフルなペンや、長持ちするファイルなどが売れ始めた」と明かす。同社の主要顧客は事業所だが、年内にはヤフーと共同で個人向け通販に乗り出すという。
「それにしても、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)やパソコンでの仕事が増えたのに、筆記具が売れるのはなぜだろう……」。章司が考え込んでいるとキングジム(東京都千代田区)の常務開発本部長の横田英人さん(48)が「デジタルとアナログの融合が始まっていますよ」と、助け舟を出してくれた。
粘着テープに文字を印刷する「テプラ」とファイルで有名な同社は、個人向け商品が重要になると読んでアナログ文具と電子文具の開発部門を統合。昨年はスマホ用のメモ帳「ショットノート」を発売し、大ヒットした。メモ帳に書いた内容を斜めから撮影しても正面から撮ったように補正して記録できる。「デジタル機器の普及が新たなアナログ文具の需要を生んだのですね」。章司は納得した。
章司が総務省の統計にあたると、勤労者世帯の消費支出に占める筆記具類の比率は08年を境にほぼ右肩上がりだった。「法人から個人に需要が移ったことで新製品の開発も進み、市場が拡大したようです」。事務所で報告すると、所長が一言。「職場の変化も影響しているんじゃないか」
文具卸のエムディーエス(東京都墨田区)の販促企画部長、桜井暁彦さん(43)に話を聞くと、ここ数年、クールビズの浸透などで、オフィスの雰囲気がカジュアルになり、おしゃれな文具が売れる下地が整ったという。「男性なら"手帳は黒"という固定観念がなくなり、好みに合わせて色や機能で選ぶようになりました。動物の形をしたクリップなど"女子文具"も売れています」と桜井さん。
消費者行動に詳しいニッセイ基礎研究所(東京都千代田区)の研究員、久我尚子さん(36)にも意見を求めると「企業の経費削減で文具だけでなく賃貸マンションやスポーツクラブなども個人が支出する形に変わりました」と、個人需要を無視できなくなってきたと指摘。章司も「ゴルフ場や飲食店も接待需要が減って個人向けサービスを拡充している」と思い当たった。
さらに「忘れてはいけないのが女性の就業率上昇です」と久我さん。総務省が5年ごとに実施する調査では、単身世帯の女性の可処分所得は09年に男性を抜いた。女性の社会進出に加えて「医療・介護業界などで働く比率が高く、製造業が多い男性に比べ景気後退の影響を受けにくかったのでしょう」。企業の製品開発やマーケティング戦略の上で、女性の需要開拓がますます重要になるという。
事務所で報告すると、所長は「デジタル時代にペンやノートが生き残っているのは心強い。アナログ人間の私が見直される日も近いな」と納得顔。夫人の円子が一言。「女性に人気がないと難しいんじゃない?」
<日本製は海外でも人気 漢字の制約、品質引き上げ>

日本の伝統的な筆記具といえば毛筆。江戸時代の大名らが舶来の鉛筆やペンを持っていた記録はあるものの、実際に使われるようになるのは明治維新以後だ。
西洋の文具が普及し、国内生産も盛んになった。真崎仁六は1887年、水車を動力とする工場で鉛筆の生産を開始(三菱鉛筆の前身)。万年筆のペン先の製造に成功した並木良輔も、1918年に会社(現パイロットコーポレーション)を設立し、輸出にも乗り出した。
発明も多い。15年に西洋の機械式鉛筆を改良し、シャープペンシルの原型を作ったのは家電大手シャープの創業者、早川徳次。特許も取得した。現在の社名も商品名に由来する。
日本語は画数の多い漢字が多く、ペンは線の細さ、ノートはインクのにじみにくさなどを求められる。こうした要求を満たす日本製への評価は高く、輸出が伸びた。欧米企業の多くが事業を縮小したり流通業に転換したりする一方、日本企業は開発力で生き残った。
同じ漢字文化圏である中国などでも、生活水準の向上で日本製文具の人気は高まっている。新興国企業との価格競争が激化する一方、新しい市場が開けつつある。
(松林薫)
[日経プラスワン2012年9月29日付]