国宝神護寺三像とは何か 黒田日出男著 数多くの資料から綿密に論証

2012/8/8付
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神護寺には、よく知られる頼朝像とともに平重盛像、藤原光能像とされる「神護寺三像」がある。明治の調査によって国宝指定され、12世紀末ごろの作品であるとされてきた。

(角川学芸出版・2000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(角川学芸出版・2000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

ところがである。やがてその制作時期や肖像の人物について次々に疑念が出てくる。本質にせまったのは、米倉迪夫による議論(1995年)であった。伝源頼朝像が足利直義、伝平重盛が足利尊氏そして伝藤原光能は足利義詮。制作時期は14世紀中葉であるとされたのだ。しかし、米倉説には通説の立場から批判がなされた。本書は米倉説の正しさを厖大(ぼうだい)な資料を駆使しながら綿密に論証していく。

その論証の展開は、魅力的で痛快といっていい。これまでの通説が次々と崩されていくのである。まず、室町時代後期には衰退していた神護寺を復興したのは晋海僧正である。彼は、源氏を自称していた徳川家康に、名無しになっていた足利直義の肖像を「頼朝御影」として示したというのである。これによって神護寺は庇護(ひご)されることになる。

三像は絹に描かれているのだが、鎌倉初期にはないサイズであり、14世紀とすることが妥当である。作品を物質資料として扱う姿勢がつらぬかれている。また描かれた衣服などを有職故実(ゆうそくこじつ)をもとに制作時期を推定する。

さらに決定的なのは「足利直義願文」には、神護寺に直義と兄尊氏の肖像を奉納、安置したとの記述が残されていたのである。それはふたりの二頭体制の安定を祈願してのことであった。三像中この二像は顔が似ている。この肖像安置は、直義が臨済宗の僧夢窓疎石から聞いた、八幡大菩薩と弘法大師の聖像が神護寺に安置されたという物語から、思いついたことであった。直義、尊氏の肖像が巨大であるのは、聖像になぞらえたからだと著者は推測する。そして、三つ目の肖像は、尊氏の実子である義詮だとする。それは直義、義詮の新たな二頭体制を要因として、二像より後に制作されたのではないかと見る。

資料から事実を緻密に論証していく手順は、歴史学のあるべき方法を示している。その展開は事件簿を読むほどにスリリングで面白い。

(デザイン評論家 柏木博)

[日本経済新聞朝刊2012年8月5日付]

国宝神護寺三像とは何か (角川選書)

著者:黒田 日出男.
出版:角川学芸出版
価格:2,100円(税込み)

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