鮎川義介と経済的国際主義 井口治夫著
構想力を備えた経営者の歩み
「構想力」とは何か。世の中の大きな流れを読み取って、思い切った成長戦略を描く力量といえるだろうか。この本は、そうした資質を備えた企業経営者の歩みを丹念にたどった労作だ。

鮎川義介は日産自動車や日本鉱業などを傘下においた日本産業(日産)グループの創始者として知られる。戦前、軍部が中国東北部に建てた満州国に日産グループの本拠を移し、社名を満州重工業開発と改めて総裁に就任した。戦後は戦犯容疑で巣鴨拘置所暮らしを余儀なくされ、その後は中小企業の育成に力を注いだ。
満州の開発に取り組んだ鮎川には軍国主義の印象がつきまとうが、実はグローバル感覚に富んでいた様子を丁寧に調べて描いている。日中戦争の泥沼化で実らなかったが、満州に大規模な米国資本を導入しようと、水面下で米政府関係者らと懸命に交渉していた。
米資本を取り入れることで統制経済を和らげようとした。世界が発展するにはブロック経済を壊し、自由貿易を復活させなければならないと鮎川は考えていた。満州で実践をめざしたわけだ。
グローバル化が急速に進む今、鮎川のような構想力は日本に強く求められるものだ。環太平洋経済連携協定(TPP)交渉をめぐっては、政府は交渉への参加表明すら先送りしている。世界のなかで日本の影は薄くなるばかりだ。
戦後、鮎川は、中小企業の成長性は大企業に引けをとらないとみて、今でいうベンチャーキャピタルを興した。
大企業の下請けや系列企業が広がり、鮎川の中小企業育成の構想は挫折したが、現在は経済を活性化するために起業の支援が課題になっている。鮎川に先見性があったというべきだろう。
鮎川は政官財の結びつきを強めるなかで日産グループの事業を拡大してきた。こうした政府に保護されての経営は、すでに成り立つ時代ではない。
だが、広い視野で成長の見取り図を描く力はますます重要になっている。投資家重視のあまり、短期の業績に目が向く傾向もある。鮎川が経営者に警鐘を鳴らしているようにみえる。
(論説副委員長 水野裕司)
[日本経済新聞朝刊2012年5月6日付]