暇と退屈の倫理学 國分功一郎著 「倦怠」めぐる思想家たちの言説

2011/11/22付
保存
共有
印刷
その他

(朝日出版社・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(朝日出版社・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

東日本大震災、史上最悪の原発事故、EU危機、TPPをめぐる騒動、世界は混乱と危機に満ちている。なのに、今なぜ「暇と退屈」なのかと思うひとはいるだろう。

著者は高校生の時、米国でホームステイしたが、そこでどういう考えを持っているのかと問われて、自分のフィロソフィーをつくっているところだ、と答えた。本書は、そのときの自分に対する一つの回答だと言えるのかもしれない。

本書の出発点は、17世紀の思想家パスカルの「人間の抱える倦怠(アンニュイ)とそれをまぎらわせるための気晴らし」をめぐる議論であり、最後に登場するのは20世紀を代表する哲学者ハイデガーの「決断」論である。

そして、17世紀から20世紀に到(いた)る思想家たちの様々な言説を論じながら、著者が一貫して問い続けるのは、我々は、得られた「暇」をいかに過ごすか、この「退屈な生」をいかに過ごせばいいのかについて納得のいく答えを見出(みいだ)せていないという事実である。ハイデガーは、退屈することは自由があることであり、だからこそ人間は可能性を求めて「決断」せよ、と説いたのだが、著者はこれに敢然と反論する。

そして著者が反論する際の中心的な基盤として位置づけているのは、理論生物学者ユクスキュルの「環世界」論である。ユクスキュルは、すべての生物がその中に置かれている単一の世界は存在しないと考えた。たとえばダニは、3つのシグナルに沿って行動する環世界に生きている。それぞれの生物の環世界は異なっており、人間もまた一つの環世界を生きているとするユクスキュルの理論をハイデガーは批判した。物そのものを受けとる能力があるのは人間だけだと考えたからだ。そして人間を特別なものだと見るハイデガーの「決断」論は、結局ひとが「決断」の奴隷になることではないのか、と著者は問いかける。

評者は、『今村仁司の社会哲学・入門』の中で、晩年の今村が、ベンヤミンの「倦怠」論から示唆され「覚醒倫理」の確立に向かった事を指摘した。若い著者が、今村の残したこの困難な課題に果敢に挑むことを望みたい。

(社会学者 桜井哲夫)

[日本経済新聞朝刊2011年11月20日付]

暇と退屈の倫理学

著者:國分 功一郎.
出版:朝日出版社
価格:1,890円(税込み)

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]