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もう1つの名刺持つ人、増えてる?専門生かし社会貢献

エコノ探偵団

「名刺交換すると、2種類差し出す人に出会うようになりました」。会社員の友人の話に探偵、松田章司の目が光った。「もう一つ名刺を持つのはなぜだろう。勤務先が2つあるということかな」。早速、調査に飛び出した。

まず向かった先は、働き方を調査研究する独立行政法人の労働政策研究・研修機構(東京都練馬区)。「2つの会社を掛け持ちする人が増えたのでしょうか。景気低迷で給与が減ったという理由が思いつきます」。章司の質問に郡司正人さん(50)は「多くの会社は社員の副業を禁止しています。内緒で別の仕事をしているなら、ばれないように名刺は作らないと思いますよ」と言い切った。

ボランティア用

本業ともう一つの名刺を同時に差し出す(東京都世田谷区)

「残念、仮説は間違っていたか。実際に持っている人を探すしかないぞ」。街で聞き込みを始めると「私は2種類あります」との返事。声の主、池田陽平さん(27)が取り出したのは厚生労働省と「プロジェクト結」の名刺だった。プロジェクト結は東日本大震災の被災地に本を贈ったり、ボランティアを派遣したりして、子どもたちに遊びや学ぶ機会を提供する団体だ。

「厚労省としてできることに加えて、一人の人間として協力できることがあると、現場に立って知りました」。復興を後押ししたいと汗を流す池田さん。「業務に支障のない範囲でがんばれと、役所も応援してくれます」

福吉隆行さん(27)が持っていたのは、勤務する日本政策投資銀行と「ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)東京」の名刺。特定非営利活動法人(NPO法人)などに資金を援助したり、運営ノウハウを伝えたりするのがSVPだという。「銀行には報告済みです。ここでの経験を本業にもぜひ生かせれば」。福吉さんは話す。

「本業に加えて、ボランティア活動でも名刺があるようだぞ」。調べてみると、自分の専門知識を活用して社会貢献することを「プロボノ」と呼び、欧米に続き日本でも広がってきたことが分かった。プロボノ拡大を目指すNPO法人のサービスグラント(東京都渋谷区)は、全国で数万人が活動しているとみる。

そこで、章司は社外での社会貢献活動を勧めるNPO法人「二枚目の名刺」(同)に足を運んだ。応対してくれた広優樹さん(31)は震災以降、社会に役立ちたいと考える人がさらに増えたと実感しているそうだ。「ただ、それで生計を維持するのは大変。企業に勤めているほうが、むしろ成果が出る可能性もあります」と教えてくれた。

「社会貢献意識の高まりが背景にあるようです」。事務所で報告すると、所長はコンサルティング会社に勤務する桑島浩彰さん(30)の名刺をスッと差し出した。そこに並んでいたのは略歴や取得した資格。「ボランティアとは関係ないぞ。追加調査だな」

自分アピール

すごすごと街に出た章司は、桑島さんを訪ねた。「なぜもう一つ作ったんですか?」。「組織ではなく、自分のやってきたことを相手に知ってほしいからです」。桑島さんの答えは明快だった。大手電機メーカー勤務の30歳の女性にも話を聞けた。彼女は趣味で描いたイラストやデザインを紹介する名刺を持っている。「勤務先の名刺だと社名に注目されます。私は作品を見てもらいたい」

若者の意識に詳しい関西学院大学准教授の鈴木謙介さん(35)に問い合わせると「自分が何者なのか、社名以外で訴えたいという思いが強まってるからでしょう」と答えてくれた。年功序列が崩れ、収入増も期待できなくなるにつれ、かつてのように「会社=人生」とは考えにくくなった。資格や作品を名刺で訴えるのは、別の自分を表現する有力な手段というわけだ。

「今は就職難で、会社勤めを重視する動きも出ていたけどな」。日本生産性本部の新入社員を対象とした調査では「定年まで勤めたい」との回答が11年度は33.5%と過去最高を記録している。再度、章司が鈴木さんに尋ねると「そんなケースでも2枚目の名刺は役立ちます」と切り出した。「勤め先を確保しながら自己実現を目指す。高いリスクをとらなくても、夢がかなうかもしれませんね」

聞き込みを続けると、作詞家の名刺を持つ保険会社の女性(27)に出会った。「夢は作詞家ですが、収入は不定期でごくわずか。名前もまだ知られていないので、今はとても飛び込もうと思いません」

企業の活力に

「会社側はどう見ているんだろう」。ボランティア活動を推奨するNECは「社外活動で社会の需要や変化に敏感になり、新しい発想を得てくれれば、会社にとってもプラスです」という。組織の運営や多様な人材との交流が、管理職に必要な能力を鍛えることにつながるとの指摘もあった。経済産業省も「経済活性化の新たな担い手として歓迎したい」と期待する。

社会貢献かどうかを問わず、社員に自分の夢を書いた「未来の名刺」を持つよう呼びかけていた企業もあった。居酒屋を展開するワタミだ。会長の渡辺美樹さん(52)は「夢がある人に入社してもらうことは企業の活力になります」と強調する。社員が独立したいと思えば、会社が支援する仕組みもあるそうだ。

同志社大学教授の太田肇さん(56)は、欧米では本業と競合するなど明らかに支障がない限り兼業は禁止していないと話す。「経営者にとって、会社に忠実なだけの社員より、社会や顧客目線に触れている社員のほうが貢献すると映るでしょう」。「業務以外の活動に厳しい日本の企業も変わってきそうだな」。章司はうなずいた。

「もう1つ名刺を作るか」。所長の言葉に章司がチクリ。「所長に別の顔はありましたっけ」

<デジタル印刷普及>料金下落、個人も作りやすく

デジタル印刷機で印刷される名刺(アオキ・オフィスサービス)

中国で竹を削って名前を書いたのがはじまりとされる名刺。欧州では17世紀頃から、相手の不在時や食事に招かれたり、お祝いやお悔やみを述べたりする時に渡していた。日本では江戸時代にもあったようだが、利用が広がったのは明治初期。外国人との交流が活発になってからだ。

大きさは9.1センチメートル×5.5センチメートルと、ここ数十年そのまま。変わったのは印刷方法だ。原稿を機械が読み取り、忠実に再現できるデジタル印刷が普及し、大半の場合、人間の手で細かな色を微調整する工程を省略できるようになった。おかげで料金も下落、100枚あたり1000円前後だった料金は400円を下回ることさえある。最近は自宅のプリンターで印刷したり、自分でデザインを考え専門店にデータを持ち込んだりする人も多い。

注文で目立つのが「1947~49年生まれの団塊世代の方です」と印刷会社、アオキ・オフィスサービス(東京都板橋区)の青木昭社長。趣味などを書き添えて、友人に配るそうだ。会社一筋で名刺を持つのが当たり前だった世代だけに、退職後も手放せないのかもしれない。

(井上円佳)

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