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98キロ、巨漢に挑むチェコ人力士 大相撲・隆の山(上)

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2011/9/26 15:30
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当時は曙、武蔵丸を代表格とするハワイ勢、旭天鵬、朝青龍らモンゴル出身が二大勢力で、欧州からはグルジア出身の黒海がいたくらいだった。

■18歳で来日、初土俵

そんなとき、「相撲を世界に広めるには、外国の人に見てもらうことが重要」という鳴戸親方(元横綱隆の里)の持論に触れたチェコ人の知人の紹介で、鳴戸部屋の門をたたくことになった。2001年の九州場所で、18歳のパベルは「隆の山」のしこ名で初土俵を踏んだ。

「日本のことはよく知らなかった。車や電気製品の技術がすごい国というイメージくらい」という異国での生活が始まった。しかも相撲部屋という特殊な世界で。まずはおかみさんに買ってもらったチェコ語辞典を頼りに言葉を覚えることから始めた。

幼い頃から磨いてきた運動能力と、角界屈指の鳴戸部屋の猛稽古でめきめきと力を付けていった。隆の山は初土俵からすぐに序二段、その2年後には三段目、さらに2年後に幕下15枚目と着実に番付を上げた。

だがここから長い停滞が始まる。周りの力士が番付の上昇とともに体を大きくしていく中、隆の山の体重はいっこうに増えなかった。

(敬称略)

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