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リングから再び柔道へ パーク24監督・吉田秀彦(上)

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2011/9/5付
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畳からリング、そして畳へと戻ってきた。

1992年バルセロナ五輪、柔道男子78キロ級金メダリストの吉田秀彦(42)。柔道で3度の五輪出場を果たし、世界選手権も制した男は、2002年に総合格闘技に転身した。幾多の強豪と熱戦を繰り広げて昨年4月に現役を引退。

総合格闘技に転向した後も、柔道競技人口の底辺拡大に努めてきた

総合格闘技に転向した後も、柔道競技人口の底辺拡大に努めてきた

やるからには日本一のチームに

一度は離れた全日本柔道連盟(全柔連)に再び指導者登録され、今年5月に駐車場運営「パーク24」の柔道部監督として新たな一歩を踏み出した。

吉田は「やるからには日本一のチームをつくる。ゆくゆくは五輪の金メダリストを育てたい」と決意を語る。パーク24柔道部は昨年発足の新興チーム。いま力を注ぐ部員の勧誘活動も名門チームと比べれば、苦労は少なくない。150畳の専用道場は来年夏に完成予定で、チーム一体となった練習時間も多くはとれない。

ゼロからの出発。それでも就任直後の5月の全日本実業柔道団体対抗大会では、3部優勝と幸先のいいスタートを切った。

■「子供に夢を」育成に力

9年ぶりに復帰した柔道界。ただ総合格闘技大会のPRIDE(消滅)などのリングに上がった時も、吉田の心は常に柔道にあった。柔道着を身にまとって、柔術やキックボクシングなど他競技の猛者を次々と撃破した。吉田本人はもちろん、柔道本来の強さを証明したようでもあった。

その傍らで、柔道競技人口の底辺拡大にも努めた。02年からは都内などに「吉田道場」を開設。子供たち相手に無料の柔道体験教室「VIVA JUDO!」を開き、初心者や経験者を地道に指導して柔道の魅力を広めてきた。

「町道場がどんどん減っているんで、とりあえず子供たちに柔道をやってもらおうと。そういう機会を少しでも増やしていければいい」と吉田は狙いを語る。開催は8年間で39回に及ぶ。

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