理想の走り追い求め十余年 マラソン・藤原新(上)
「マラソンを楽に走ることはできる」と藤原新(レモシステム、29)は言い切る。それができるかどうかは、いわゆる体力ではなく、ランニングフォーム次第なのだと訴える。

足音まで変わる
「走っているうちに『あっ、来た』という瞬間がある。『はまった』という感じです。そうなると足音まで変わる。その理想のフォームさえつかめば、エネルギーがかすかすの状態でも、どこまでも走れる」
「フォーム至上主義者」になったのは高校時代にさかのぼる。諫早高(長崎)2年のとき、5000メートルと1万メートルで当時の長崎県記録をマークした。
しかし、年が明けると停滞した。「練習はしているし、やる気もあるのに記録が伸びなかった。体力は確実に増しているのだから、遅くなるわけがないのに」
走る技術はデリケート
そのとき気付いたのだという。「問題があるとしたら、フォームしかない」と。「そこから僕のフォーム探しの旅が始まったんです」
長距離走のトレーニングというと、心肺機能と脚力を高めることに焦点を絞りがちだが、藤原はランニングの本質はそこにあるのではないという思想に至り、フォーム、つまりランニングの技術の追究をスタートした。
走る技術は非常にデリケートなものだ。姿勢、モーション、そのタイミングによってフォームは微妙に変わる。
「腕の振りはこうだ」という答えを得ても、そこばかりに集中すると、他の動きが狂ってくる。そうなると「あの腕振りは間違っていたのではないか」という考えが頭をよぎり、また最初からやり直しになる。
今年2月の東京マラソン(2位)では20キロの手前、初優勝した5月のオタワマラソン(カナダ)では17キロ過ぎで「これだ」というものに至ったという。しかし、一夜明けると、どこかがずれてしまう。
だから、藤原は「理想のフォームの再現性を高める」ことに力を注ぐ。「これだ」というものを、いつでも再現できるようにするには、感性を研ぎ澄ませ、認識力を高めておく必要がある。
感性でマラソンを走る
走っているうちに「いま、楽だ」と感じたとき、自分の体がどう動いているのかを正しく認識することが重要だと考える。
舗装路ではなく、高尾山(東京)など不整地でトレーニングを重ねるのは、認識力を高めるためでもある。
でこぼこがあり、起伏のある山で安全に疾走するには、路面についての情報をたくさん処理しなければならない。その積み重ねで感性が磨かれ、認識力が高まるはずだという。
藤原は感性でマラソンを走る。それは、ひらめきに任せてという意味ではない。感性を豊かにして、複雑に絡み合ったものを解きほぐし、洗練された理想のメカニズムを追究する。
理屈をどこまでも突き詰めていく
そのデリケートな動きを、だれもが、いつでも再現できるように「言葉で簡単に表せるようにしたい」と話す。
多少、完ぺきを求め過ぎているきらいがあるかもしれない。しかし、理屈をどこまでも突き詰めていく執念のようなものが、2年後のロンドン五輪を目指すこのマラソンランナーの力の源泉になっている。