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50歳でプロに転身 異色のゴルファー・徳永雅洋(上)

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2010/8/11 7:00
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大企業での安定したサラリーマン生活を捨て、プロゴルファーに転身した。それも50歳になってから。異色のプロ、徳永雅洋(57)は、シニアツアー優勝をめざして日々奮闘している。

思わぬ辞令

「ちょっと違った路線が落ち着くタイプ」

「ちょっと違った路線が落ち着くタイプ」

「僕は組織のど真ん中でなく、ちょっと違った路線が落ち着くタイプ」。こう語るのには理由がある。1975年に関西学院大を卒業しリクルートに入社。大阪で大学や専門学校などを顧客に働いていた営業マンに思わぬ辞令が下ったのは入社5年後のことだった。

江副浩正社長(当時)から、同社が開発中だった岩手・安比高原への出向を命じられた。同スキー場の初代支配人となり、安比高原GCの支配人も務めた。

女子ツアー開催に携わる

大学ではスキー部主将。両親らの影響で10歳からゴルフにも親しんでいたから、白羽の矢が立ったのだろう。折からのスキーブームもあって土日も正月もなく、仕事に追われた。夏場はVIPの接客にも忙しく「一番働いた時期」と振り返る。女子ツアー「リクルートとらばーゆカップ」(安比高原レディース)の開催にも携わった。

この後、実家が経営していた北新地のクラブを手伝うため、いったん会社を辞めて大阪に戻る。翌年東京へと連れ戻したのが、安比高原時代に知り合いリクルート常務も務めたトーナメントプロデューサーの戸張捷だ。わざわざ大阪へ出向き「大きな場所で仕事をさせたほうがいい」と母親らを説得したという。

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