桐生悠々 軍に屈せず一人の戦い 戦争と言論人 足跡を訪ねて(2)

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2010/8/8 4:00
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「言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である」

 抵抗の新聞人として名を残す桐生悠々が使っていたと伝えられている机が信濃毎日新聞本社(長野市)にある。主筆にふさわしい重厚な作りだ。2005年の社屋建て替えまで、歴代の編集局長はこの机の前に座ることになっていた。

信濃毎日新聞主筆時代=同社提供

信濃毎日新聞主筆時代=同社提供

 「権力に敢然と立ち向かった立派な記者がいたという誇らしい気持ちと、軍の圧力に負けて彼を守りきれなかったジャーナリズム企業としての敗北感の両面がある」と同社専務の小坂壮太郎さん(48)は語る。

大演習を批判

 悠々が主筆時代、「経営は編集に介入せず」の方針のもと、オーナーである小坂順造社長、弟の武雄常務(のちに社長)は、悠々の社長批判の論説でさえ容認した。壮太郎さんは武雄常務の孫だ。その小坂家が悠々を切らざるを得なかった痛恨事があった。

 1933年(昭和8年)、「関東防空大演習を嗤(わら)う」という社説が掲載された。数日前に行われた陸軍の大規模な演習を論じたものだが、悠々は「敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである」と断言した。敵爆撃機は日本沿岸までで防がねばならず、本土に侵入を許せば東京は関東大震災と同様に焼け野原になると警告した。

 「中身は悪いものでも何でもないんです。きわめて妥当な意見です。それを(あざける意味の)『嗤う』ときたからばかな兵隊、頭にきたわけです」と当時を知る同社の元編集局長、坂本令太郎さん(故人)は証言している。

 以前から信毎の反軍的論調を快く思っていなかった軍関係者はこの機を逃さなかった。地元の在郷軍人会幹部が同社に乗り込み、不買運動を展開すると脅した。当時の信毎の発行部数は約2万部。在郷軍人会は8万人にも及ぶ。信毎存亡の危機に悠々は社を去らざるを得なかった。

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