足利事件再審
宇都宮地裁判決要旨
【再審までの経緯】
1990年5月、栃木県足利市で4歳の女児が誘拐、殺害された。被害者が着用していた半袖下着に付着した体液と菅家利和さんの体液のDNA鑑定が行われ、同型だった。逮捕、起訴された菅家さんは92年12月の第6回公判で否認したが、第7回公判で再び認め一度結審。弁論再開後、全面的に否認する供述をした。
93年の一審判決は(1)DNA鑑定(2)自白――を主な証拠とし菅家さんを犯人と認定。無期懲役とした一審判決が確定した。菅家さんは2002年、再審を請求。東京高裁は再審開始を決定した。
【DNA鑑定】
東京高裁は09年、鈴木広一大阪医大教授らを鑑定人に命じ、被害者の下着に付着した体液と菅家さんの血液のDNA再鑑定をし、同一の男性に由来しないと判定された。菅家さんが犯人でないことを如実に示す。
最高裁が証拠能力を認めた当時のDNA鑑定は、鈴木鑑定の結果、証拠価値がなくなり、具体的な実施方法にも疑問を抱かざるを得ない。現段階においては証拠能力を認めることができず、証拠から排除する。
【菅家さんの自白】
鈴木鑑定の結果は、捜査段階や公判での菅家さんの自白を前提とすると到底説明がつかず、自白は信用できない。
起訴後でも公判維持に必要な取り調べはできるが、慎重な配慮や対応が求められる。森川大司検事は既に2度の被告人質問が行われた後の92年12月7日、別件の取り調べで菅家さんが突如、本件の否認を始めたことから翌日、本件の犯人ではないかと追及する取り調べをした。弁護人への事前連絡を一切せず、黙秘権告知や弁護人の援助を受ける権利も説明しておらず、当事者主義や公判中心主義の趣旨を没却する違法な取り調べだった。
取り調べで、DNA型が一致したとの鑑定結果を告げられたことが、菅家さんが自白するに至った最大の要因。捜査段階の自白の任意性には影響しないが、その信用性には大きく影響している。
自白の証拠能力自体に影響する事情は見当たらないものの、再審公判で明らかとなった当時の取り調べ状況や、強く言われるとなかなか反論できない菅家さんの性格からすると「当時の新聞記事の記憶などから想像を交えて捜査官の気に入るように供述した」という控訴審での菅家さんの供述は信用性がある。自白は信用性が皆無で、虚偽であることが明らかだ。
【結論】
犯人のものと考えられるDNA型が菅家さんの型と一致しないことが判明し、自白が虚偽であることが明らかになったのだから、菅家さんが犯人ではないことは誰の目にも明らかになった。〔共同〕