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シドニー湾に浮かぶ「蝶々夫人」

日本人プリマの大村博美に大喝采

フランスを本拠に世界の舞台へ進出している日本人プリマドンナ、ソプラノ歌手の大村博美がオーストラリアのシドニー湾上の特設舞台でプッチーニの名作オペラ「蝶々夫人(マッダーマ・バッテルフライ)」の主役チョーチョーサンをスケール豊かに歌い、大喝采を浴びている。

3週間に11回の舞台で主役を張る

今年3月21日から4月13日まで全21回の公演のうち、大村は初日を含め11回に出演した。南半球の季節は夏の終わり。結婚式の場面で海上の小舟から花火も上がるなどスペクタクル満点の舞台だが、大村は気丈な日本女性の内面を屋内上演に匹敵するほど緻密に、しっとりと演じ、深い感銘を与える。

シドニーといえば、貝殻を思わせる形状でユネスコの世界文化遺産に認定されたオペラハウスが有名だ。実質上の国立歌劇団、オペラ・オーストラリア(OA)は大小5つの舞台のうち座席数1400とハウス内で2番目に大きいジョン・サザランド劇場を本拠にしている。シドニー湾上の公演はOAが屋内とは別枠で企画、大口スポンサーである日本人実業家、半田晴久(宗教家としては深見東州)氏の名を冠し「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」と命名した。昨年まで2年間はベルディの「ラ・トラビアータ(椿姫)」を上演。「蝶々夫人」は今年からだ。企業協賛には、自動車のマツダも加わっている。

チョーチョーサンの嫁入り。背後の借景にシドニー湾名物のオペラハウス、ハーバーブリッジが見える(撮影=James Morgan)

だが大村は日本人の役だからでも、「ジャパン・マネー」のパワーゆえでもなく、プリマドンナとしての傑出した力量で主役に抜てきされた。2012年の10月から11月にかけてサザランド劇場のOA本公演で沼尻竜典の指揮、メルボルンのアーツセンター州立劇場でジョバンニ・レッジョーリの指揮でチョーチョーサンを歌い演じて成功を収めた。メルボルンの舞台はすでにDVD、ブルーレイとして世界発売されている。「14年にシドニー湾上でもう一度、歌わないか」との申し出は、メルボルン公演の直後に受けたという。シドニー空港に降りた途端、大村をフューチャーしたポスターが目に飛び込む。市内のバス停やタクシーの車体にも同じ意匠の広告が掲げられ、街を挙げた観光イベントの趣がある。

海の上の「バッテルフライ」の演出は斬新な空間処理でヨーロッパのオペラハウスを席巻するカタルーニャの演劇集団「ラ・フラ・デルス・バウス」、その中でもディレクターのアレックス・オリエと舞台装置家のアルフォンス・フローレス、衣装デザイナーのリュック・カステリスのチームが中心となって請け負った。表面に人工芝を敷き詰めた幅44メートル、奥行き29メートルの舞台(1279平方メートル)を海上にしつらえ、てっぺんに竹林が立つ。両サイドにはリモートコントロールの巨大な24トンのクレーンが2本立ち、画像スクリーンを舞台上に置いたり、天空からつり下げたりする。さらに太陽を担う直径12メートル、月を担う同6メートルの球体が点滅し、幻想的な雰囲気を醸し出す。

シドニー湾上に浮かぶ舞台(人工芝でマウント)と地上の売店、客席を側面からながめる

背後ではオペラハウス、ハーバーブリッジ、あるいはシティ地区の高層ビル群が絶妙の「借景」として機能する。特設舞台はオペラハウスのちょうど対岸、シドニー王立植物園の一角につくられ、地上の野外客席には3千人が収まる。オーケストラは舞台の真下に隠れ、客席中央に立つ照明・音響装置のタワーにしつらえたスクリーンに水面下の指揮者が映し出され、歌手たちはそれを見ながら歌う段取り。「実際には、いちいちスクリーンめがけて顎を上げて歌うわけにいかないので、耳から聞こえる音を頼りに合わせている」と、大村は打ち明ける。

 3月30日、日曜夜の公演を訪れた。会場のあちこちに売店や料飲コーナーが置かれ、開演前と休憩中には様々なワイン、ビール、和洋中華の料理などが楽しめる。事前に50豪ドル(約4800円)を支払えば、シャンパン付きのVIPラウンジも利用できる。

激しい雷雨には勝てず、第1幕で中止に

特筆すべきは、この種の野外イベントにしては異例なほど仮設トイレの内装が吟味され、清潔さが保たれていたこと。逆に、売店の外装の壁紙に使われていた現代日本の風景が東京・新宿は歌舞伎町の風俗街の写真だったのにはびっくり。公演プログラムを売っていたオーストラリア人女性に「ここは日本有数のセックス・ゾーンだよ」と説明したら、「オー・ノー!」と絶句された。ともあれ開演が迫り、期待は高まる。

だんだん夕暮れが迫るなか、短い序奏を経て、ドラマが始まる。舞台は文明開化の時代ではなく現代に移され、米海軍士官だったはずのピンカートンも、ちょっと怪しげな不動産ブローカー風のいでたち。結婚を仲介するゴローともども、芝生の上で新居の設計プランを練っている。開演前に気になったプラスチックの白い椅子は、婚礼の客人用だった。

ピンカートンとの「愛の二重唱」。半裸となったヒロインの背中一面、タトゥーが描かれている(撮影=James Morgan)

新婚夫婦に仕えるスズキは和服。日本人と見まがう風貌ながらアンナ・ユンといい「祖父が韓国人だったロシア人で、現在はオーストラリア国籍」のメゾソプラノらしい。ピンカートンのゲオルギー・バシリエフはロシア人、シャープレスのマイケル・ハニマンとゴローのグレアム・マックファーレーンはオーストラリア人。いかにも新大陸の多民族国家らしいチームだ。Bキャストもオーストリアに帰化した韓国人のチョーチョーサン、ハイシオン・クウォンをはじめ、大村チームと同じように国際色豊かな顔ぶれだった。

日本では考えられないほど「ぶっ飛んだ」視覚に気をもみつつ、チョーチョーサンの登場を待つ。第1幕中盤、以前にも増して豊かなボリューム(マイクを通しても他の歌手との差が歴然)、芯がしっかり通ったクリスタルな美声が遠くから次第に近づき、竹やぶ越しに花嫁行列が見え、白無垢(むく)姿の大村が現れると、客席から歓声が上がる。

その直後、雨が降り出した。野外イベントだけに悪天候時の対応もチケットに明記され、ちょっとやそっとの雨では中止しない。よく見ればピンカートンも、結婚式の参列者も傘を持参している! 客席には「MAZDA」のロゴが入ったビニール製の雨がっぱが無料で配られ、観客は「愛の二重唱」を聴きながら防水対策に余念がない。売り物の花火も何とか無事にさく裂したものの、今度は稲妻が光り出した。さすがに雷は命の危険を伴うため、二重唱大詰めで大村が背中を大きく広げ、演出チームが凝りに凝って描いたタトゥー(刺青)を披露する見せ場でも客席がざわつき、気の毒。それでも何とか1幕の最後まで演奏することができた。休憩時間に待つこと十数分、「後半の上演中止」が決まった。

シドニー在住の日本人バイオリニスト、MASAKI(マサキ)さんも激しい雷雨にめげず、オペラを楽しんだ

さらに十数分後、メイクを落とし、普段着に着替えた大村が現れた。幸か不幸か、打ち切りのおかげでゆっくり、話を聞くことができた。「2幕でますます演出が冴え、星条旗柄のタンクトップにホットパンツ姿のチョーチョーサンが次第に常軌を逸し、悲劇の結末へと突き進む場面を観ていただけなくて、本当に残念です」と、大村が切り出す。言葉で聞くだけでは、ギョッとするビジュアルだ。「それがね、意外に日本人の心情を痛切に切り取っていて、演じていても違和感がないし、客席も最後は大きく感動してくださるのよ。日本からのお客様に出口で『日本人の魂を感じた』と言われた時は、うれしかった」

3月21日の初日は終演後、3千人が一斉に立ち上がって大村に拍手。「歌い手になって、本当に良かった」と思ったそうだ。シドニーまで出かける時間のなかった人、上演打ち切りで悔しい思いをした人、名舞台をもう一度いい音と画像で楽しみたい人。それぞれの望みをかなえるかのように、複数の公演を編集し完璧を期したDVDが近く発売される。

本拠ヨーロッパではベルディやベッリーニらプッチーニ以外のオペラの主役も務め「バッテルフライ専業」のレッテルを返上、中堅の実力派と目されている大村。今年8月18~30日にはフランス・オーベルニュ地方のネリー・レ・バンという保養地の市立劇場で、米国人バス歌手やイタリア人指揮者らとともに若いオペラ歌手のためのマスタークラスを主宰する。しばらく日本で見かけないと思ったら、もはや後進の指導にも乗り出していた。

(電子報道部)

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