外れにくいピアス留め 彼氏との大げんかから
女子力起業(1)
編集委員 石鍋仁美

まずクイズをひとつ。「どこかで半分なくしたら、役には立たないものがある」。さて何でしょう。実はこれ、シンガーソングライター・松任谷由実さんの歌の一節。題名がそのまま答えだ――「真珠のピアス」。
別れる男の部屋に、落としたふりをして自分のピアスを片方忘れていく。新しい彼女に見つけさせるために。そんな詞だ。都会で働く女性の日々を描くアルバム「パールピアス」の1曲として1982年に発表された。
「ピアス留め」外れやすさに嘆く女性たち
「OL」と呼ばれる女性たちの存在感が年々増していたころだ。アイドルの松田聖子が男性作詞家による「ハートのイヤリング」をかわいらしく歌ったほぼ同時期、ユーミンは大人の女の象徴に、日本でも普及し始めたピアスを掲げ、OLたちの共感を得た。
イヤリングと違い、ピアスは耳に開けた穴にピンを通し、留め具で固定する。親からもらった体に穴を開けるところも「大人」を感じさせるわけだ。
一見落ちにくそうだが、知らぬ間に留め具が緩み、紛失して嘆く女性は当時から多かった。だからこそ冒頭の歌詞も成り立つ。お気に入りのピアスほどつけるのをためらう向きが利用者の4割もいるそうだ。この女性たちの悩みを宝飾・アクセサリー業界は30年間、放置してきた。

これはビジネスの種になる。8年前そう考えた女性がいた。菊永英里さん、当時24歳。発端は彼氏とのケンカだった。
「お前ががさつだから、オレがプレゼントしたピアスをなくすんだ」。交際中の彼氏が怒っている。「外れやすいピアス留めが悪いんだよっ」。言い訳めいた自分の言葉でひらめいた。「外れにくいピアス留めを作れば売れるのでは?」。そのころ菊永さんはIT企業の会社員。しかし頭の中では、すでに9年間も起業のアイデアを考え続けてきた。理由がある。
話は高校生のころにさかのぼる。「危険だから」と両親にアルバイトを禁止され、自宅でビーズのアクセサリー作りに精を出した。最初は図面通りに作って1個250円。「すぐ新しいことを始めたくなる性格」から、間もなく自分でもデザインし始めた。
「私、社長になるわ」父への事業計画書

16歳。自分の人生を妄想した。進学、就職、結婚、出産、子育て、復職……。内職で仕事の楽しさを知り、専業主婦向きではないと分かった。しかし子育てと仕事の両立は難しそう。ふと思う。「そっか!自分で会社を作ればいいんだ!」。時間の使い方を自由に決められる。そのころ人込みに緊張し、電車に乗れなかった。そんな自分でも通勤をしなくて済む。すべて解決するじゃないか。
アクセサリー作りで毎月5万円を稼いでいた。「大量生産していろんな場所で売ろう」。事業計画書を作り、勇んで銀行員の父親に見せた。「お父さん、私、社長になるわ」
アルバイトも許さない厳格な父親が「へぇ?」と目を通した。「君の時給は800円から1500円に増えるかもしれない。でも、それだけだね」。たいしてもうからない、という。「コストは?」「ターゲットは?」「ライバルと比べた強みは?」。質問攻めに、しどろもどろになる。
結果は散々だったが、頭の中にキーワードが残った。「時給を超えるビジネス」。自分にできるだろうか。父親の言葉にワクワクした。ビジネスのアイデアを日々書きとめ、いろいろな会社を研究する。アクセサリー、人材育成、IT。事業計画書をまとめ、父親に見せる。
結果はいつも「不採用」。しかしめげることなく、店に入れば他店との違いを考え、飲食店では席数をみて回転率を試算した。社長になれば人前で話すことになる。あがり症を克服しようと、大学ではバンドサークルにも入部した。
そんなこんなで24歳に。「外れにくいピアス留め」の事業計画書に、父親は初めて賛成してくれた。新鮮な視点。ライバルの不在。ピアス利用者の過半が「紛失経験あり」という独自調査。2005年夏、父に認められ、試作品作りに取り組む。
部品工場、流通……数々の壁を越えて
「昔から好きだった」という図面を書き、工場を探した。市販のものよりも、ピン先をかっちりと留める。その分、小さなピアス留めの内部構造は複雑になった。部品は精密でなければならず、価格も高くなる。
金具製造の知識はほぼゼロ。「お嬢ちゃん、カネはあるのか」「最低でも20万個から」。そう追い返される日が続く。ようやくある工場に出合って試作品が完成。それを手に、翌年には量産してくれる工場を探す。200社以上に断られ、時間をつくるため会社も辞めた。

コストダウンも狙い中国やインドの工場にも発注してみたが、試作品を再現できない。「やっぱりものづくりは日本だ」と、再び工場探し。たどりついたのは、時計部品も作る長野県岡谷市の精密機械メーカー、岡谷精密工業だった。
「世界で売る商品を生み出したい」
「難しい。けど、面白そうだね」
面談から3日後にOKの返事。プレス、切削、組み立てなど、7つの企業の技術を集め、9つの部品をピンセットで組み立てるという手づくり方式で、外れにくいピアス留め「クリスメラキャッチ」が2008年に生まれた。医療用メスと同じ素材を使い、アレルギー反応も減らしたという。特許も取得した。
商品は用意したものの、次の壁は流通だった。つてをたどり宝飾品店に持ち込むと、男性経営者がこう言った。
「ピアスはどんどんなくしてもらったほうが、次が売れるからいい」
なくさせて、買わせて。ユーザーの気持ちはお構いなし。怒りがわいた。女性がお気に入りのピアスをなくすストレスを、この人たちは全然知らないんだ。「だからこそ、既存のアクセサリー業界から、このアイデアが出てこなかったんでしょう」

幸いインターネット通販の楽天に出店しているアクセサリーショップが、扱ってくれた。
希望小売価格は1組4980円。廉価版として出した「ピアスロック」でも3980円と、従来品の数倍する。それでも女性の間のクチコミでどんどん売り上げが伸び、2011年には楽天のアクセサリー部門で売り上げ1位に。現在、累計で11万8000組を売った。
1組で複数の太さのピアスに使えるため、累計個数は利用者数とほぼ一致するとみている。
世の中をハッピーにするアイデアを
日本のものづくりの技術を海外にも広めたいと、英語の販売サイトも開設。海外からもコンスタントに受注するようになった。
「ただし、ビジネスを、ただ大きくすることには関心がないんです。お金をもらえ、ありがとうと言ってもらえるモノやサービスが作りたい」

仕事と並行し、昨年出産。起業家やフリーランスの女性が、育児をしながら打ち合わせや会議をできるようなオフィスがあればいいのに。そう思っていたところ、友人がキッズルームを併設したコワーキングスペース(個人向け共同オフィス)を作ると聞き、立ち上げに参加した。場所は東京都心の一等地、赤坂。ふだんは自宅で子育てをしながら仕事をする菊永さんも、この「Hatch Cowork+KIDS」を打ち合わせなどで使っている。
社名はギリシャ語の金色(クリス)と黒色(メラ)、つまり光と影から名づけた。人生を、おしゃれを楽しむ女性を、後ろからサポートし、より輝かせたい。そんな願いがこもる。
「時代を変えてきた様々なすばらしいものは、すべて誰かが頭の中で考えたアイデアが形になったから生まれた。そうしたものを作り出せるのは選ばれた天才たちなんだ。ずっとそう思っていた」。でも、本当にそうだろうか。
「これって、こうしたら便利だよね」
「もっとこうだったらいいのに」
「こうなったらもっと楽しいよね!」
そう、ふと思うところに大きな可能性が秘められているのではないか、と菊永さん。これからも「もっと世の中がハッピーになるには」と常に考え、新しいアイデアを形にしていきたい。そう考えている。
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