PCやMacの将来性を見抜けなかった誤算 DECをめぐる伝説と夢物語(下)
村上憲郎のグローバル羅針盤(12)

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2011/11/15 7:00
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今回は米DEC(Digital Equipment Corporation)の共同創業者で、創業以来20年以上の長きにわたり社長の地位にあって、DECを世界第2位のコンピューターメーカーに育て上げたケン・オルセンについて書く。

村上憲郎(むらかみ・のりお)
元グーグル日本法人社長兼米本社副社長

1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル日本社長を務める。

村上憲郎(むらかみ・のりお)
元グーグル日本法人社長兼米本社副社長

1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル日本社長を務める。

しかし、私自身を含む多くのケン・オルセンのファンには申し訳ないが、どうしてもDECの凋落(ちょうらく)にかかわる部分を書かざるを得ない。いずれにせよ、今年2月、84歳でご本人が他界した今となっては、真偽の確かめようもない噂話を含むので、前回同様、眉にたっぷり唾を塗ってお読みいただきたい。

私は、1986年7月から91年8月までの約5年間、日本DECからの出向社員として、米マサチューセッツ州ボストン郊外にあるDEC本社に勤務した。その間、ケンに日本からの来客や取材があるたびに、通訳を仰せつかって、その人柄に触れる機会を得た。

■人懐っこく真摯だったオルセン氏

いつも、大きな頭に人懐っこい満面の笑みを浮かべて、大柄の体を左右に揺すりながら、ノッサノッサと部屋に入ってきた。そして彼の大きな分厚い手で握手した瞬間、相手はすっかり飲まれているというのが、いつものパターンであった。

当時、60歳前後だったが、人物の大きさと真摯(しんし)さが、物腰と話し方から、圧倒されるように伝わってきたのを今でも覚えている。

米DECの共同創業者で社長を長年務めたケン・オルセン氏(1990年ごろ撮影)

米DECの共同創業者で社長を長年務めたケン・オルセン氏(1990年ごろ撮影)

相手が誰であっても、その人の言うことを真剣に聴き、いい加減に相づちを打つなどということはまったくなく、真剣に自分の考えを述べていた。時として、頭の回転が早過ぎて、断定的な結論だけがポンポンと述べられるということもあり、下手な通訳としては、度々、困惑することがあった。

後で、「ノリオが通訳すると、僕が1分しかしゃべってないことが、どうして3分になるのか?」と、いたずらっぽい笑みとともに、冷やかされたこともあった。

私が、「相手に、基本的な前提知識がないので、それを……」と言いかけると、"I Know, I Know(分かってる、分かってる)"と言いながら、肩を抱いてくれたりもした。「日本から来た英語の下手くそな出向者を傷付けてしまったのではないだろうか」と心配してくれたのだと、今でも思っている。

ケンのオフィスは、「ミル」と呼ばれる創業工場の一角にあった。もともと、1860年代の南北戦争の頃、北軍の毛布を織っていた織物工場(mill)だった建物で、ケンはその荒れ果てたレンガ造りの建物の一角を安く借り受けて創業したのである。「ミル」は、ボストンから25マイル(約40キロメートル)程北西のメイナードという田舎町にあった。

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