2018年12月17日(月)

ジョブズもゲイツも「ウィンドウ」をまねた? DECをめぐる伝説と夢物語(上)
村上憲郎のグローバル羅針盤(10)

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2011/10/31 21:18
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人工知能について書いたのなら米国のコンピューターメーカー、DEC(Digital Equipment Corporation)について書かないわけにいかない。人工知能に代表されるコンピューターサイエンスは、ほぼすべて、DECに流れ込み、そして、その後DECから流れ出たからだ。しかし、DECについては、既に多くのことが書かれ、語られており、それこそググッていただく方が、詳細な情報が手に入る。

村上憲郎(むらかみ・のりお)
元グーグル日本法人社長兼米本社副社長

1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル日本社長を務める。

村上憲郎(むらかみ・のりお)
元グーグル日本法人社長兼米本社副社長

1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル日本社長を務める。

ここでは、DECについて最小限触れなければならない事実と、あまり書かれたことのない、つまり、真偽の確かでない噂話というか、いわば「伝説」の幾つか書かせてもらうことにする。

それらは、私がDECに勤めた1978年から94年の17年間に耳にしたことではあるが、今となっては、その真偽を確かめようもない。

ということで、今回は、読者の皆様は、眉にタップリと唾を塗った上で、お読みいただきたい。旧き良き時代のコンピューター夢物語として、「そういうこともあったかもね」と気楽に楽しんでいただければと思う。

DECは、1958年にMIT(マサチューセッツ工科大学)リンカーンラボに勤めていたケン・オルセンが創業した、80年代にはIBMに次ぐ世界第2位となったコンピューター会社である。しかし、その社名Digital Equipment Corporationに現れているように、ケンはコンピューター会社としては投資家の資金を獲得できず、トランジスターを使ったDigital回路モジュールを製造販売する会社として創業した。

■名機「PDPシリーズ」、ハッカー文化を生む

後に、集積回路に取って代わられることになるNANDゲートやフリップフロップ回路をトランジスターで構成したモジュールを実際に製造販売したのである。そのようにして、会社を運営しながら、最初のコンピューター製品PDP-1を60年に完成させる。

その後、名機の代名詞となるPDPシリーズの名前も、投資家の追加投資を促すためここにもコンピューターという言葉は登場しない。PDPとは、Programmable Data Processorの略であるとされた。もちろん、読む人が読めば、それこそ「ノイマン型デジタルコンピューター」の別名であることが、分かるわけではある。

PDP-1は、今から見ると、パソコンの原型ということもできる。モニターとジョイステックを備え、最初のコンピュータゲームと呼ばれる「スペース・ウォー」が搭載されていた。

搭載といっても、プログラムは、紙テープとして付属していた。PDP-1は、結局50台が製造され、米国のハッカー第一世代を生み出すこととなる。「スペース・ウォー」もMITに寄贈された2号機上に、MITの学生が作り、後に、PDP-1に付属して出荷されることになったものである。

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