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「私」は「司令塔」でなく「観察者」、AI構築の仮説

進化する人工知能(番外編)

村上憲郎のグローバル羅針盤(9)

前回、人工知能(AI)は、慶応大学大学院の前野隆司教授が唱える「受動意識仮説」を基に、建設可能であると言い切りました。しかし、「受動意識仮説」そのものについては、例によって「ググッて下さい」とお願いしたままでした。

今も、それが「受動意識仮説」を理解する上で、最も手っ取り早い方法であるという気持ちに変わりありません。ただ一つ抜け落ちていたことがあります。前野教授の主著である「脳はなぜ『心』を作ったのか―『私』の謎を解く受動意識仮説」(2004年 筑摩書房刊)が、最も包括的な解説になっているため、この読みやすく、かつ、分かりやすい本を、紹介すべきでした。

村上憲郎(むらかみ・のりお) 元グーグル日本法人社長兼米本社副社長 1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル日本社長を務める。

「受動意識仮説」を実感してみよう

そのおわびとして今回は、「人工知能―番外編」として、「受動意識仮説」を「実感する」方法について述べてみます。今回は連載のインターミッションとして、騙(だま)されたと思って、気楽にお付き合いください。

「受動意識仮説」というのは、ひとことで言うと、私たち人間一人一人が、「私が」という風に主語で表す「意識主体」は、私たちが通常そう感じているような「能動的な主体」ではなく、「受動的な何か」でしかないのではないかという仮説です。「私」は、私の「司令塔」ではなく、私で起こっていることの単なる「観察者」ではないのかという仮説です。

ここで、「私」とかっこでくくられた「私」は、「私の心」だと思って下さい。一方、かっこがつかないままの私は、「私の体」と「私」(=「私の心」)を合わせた全体だと思って下さい。私=「私」(=「私の心」)+「私の体」というわけです。さて、いよいよ「受動意識仮説」を実感する方法です。

まず、そのままあなたの体に、注意を向けてみましょう。何かが見えていますよね。何か音が聞こえていますよね。何か臭(にお)っているかもしれません(場合によっては、何も格別に臭っていないかもしれません)。口の中に、何か味がしているかもしれません(これも、臭いと同じように、場合によっては、何も格別に味がしていないかもしれません)。

体のどこかが痛かったり痒(かゆ)かったり寒かったり暑かったりしているかもしれません(これも、臭いや味と同じように、場合によっては、何も格別に痛かったり痒かったり寒かったり暑かったりしていないかもしれません。でも、少なくとも体の何処かが、何かに触れている感じは、きっとしているでしょうね)。

このようにあなたの体の感覚器官(眼、耳、鼻、舌、体)は外界からの刺激を受けることができます。体は、さらにお腹が空いたとか、喉が渇いたとか、オシッコがしたいといった、体の内側の刺激も受けることができます。ただし、この体の内側の刺激は、既に「意味」が付与されていますね。

「暑い」「痒い」を感じるのは誰?

もちろん、同じように感覚器官(眼、耳、鼻、舌、体)が受けた刺激も、「パソコンのモニターだ」とか「鈴虫の声だ」とか「夕食のカレーの臭いだ」とか「さっきしゃぶった飴(あめ)の残りの味だ」とか「握っているマウスの感触だ」とかといった「意味」がすぐに付与されるわけです。

さて問題は、それは、あなたが「私が」という風に主語で表す「意識主体」たるあなたの「私」が、やっていることなのでしょうか? それとも、ただ単に「観測している」だけなのでしょうか?

それでは、次にあなたの心、つまり、「私」に注意を向けてみましょう。「村上のコラムは、毎回、面白くねーけど、今回は、輪をかけて面白くねーな」という感想が、湧き上がって来ているかもしれません。それが原因で、少し不機嫌な気分になりかかっているかもしれません。

逆に、「村上のコラムは、毎回、面白いけど、今回は、今までと毛色が変わってますます面白そうだな」という感想が、湧き上がって来ているかもしれません。それが原因で、少し愉快な気分になりかかっているかもしれません。いずれにせよ、それは、あなたが「私が」という風に主語で表す「意識主体」たるあなたの「私」が、やっていることなのでしょうか? それとも、ただ単に「観測している」だけなのでしょうか?

「意識主体」の「私」は眺めているだけ

お察しの通り、「受動意識仮説」というのは、それら一連のことは、私たち人間一人一人が、「私が」という風に主語で表す「意識主体」がやっていることではなく、「私」は、私で起こっているそれらの事々の単なる「観察者」にすぎないという仮説なのです。

「ちょっと待ってくれよ。そういう事々は、百歩譲って、『受動意識仮説』の通りとしよう。しかし、もっと能動的なこと、例えば、指を動かすといったことは、俺の『私』が、やっていることとしか思えんぞ!」という声が聞こえてきそうですね。ところが、実は、それがそうではないのだという実験結果があるのです。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校のリベット教授が行った実験で、1983年の論文で発表されたものです。実験の詳細は、例によってググッていただくか、前野教授の前掲書に詳しく紹介されているので、お読みいただくとして、結果だけ申し上げます。

脳の中で「指を動かせ」という信号が指の筋肉に向けて発せられた時刻と、「心」が「指を動かそうと思った」時刻を比べたら、脳の中で「指を動かせ」信号が発せられた時刻の方が、0.2秒、早かったのです。つまり、脳の中で「指を動かせ」信号が発せられてから、0.2秒たった後で、「心」が、「指を動かそうと思った」というわけです。

言い換えると、残念なことに(でもないか)俺の『私』が、能動的に指を動かそうと思ったのではなく、俺の『私』は、脳の中で「指を動かせ」信号が指の筋肉に向けて発せられたのを観測して、あわてて(0.2秒も遅れているわけだから、そうでもないか)「俺の『私』が、能動的に指を動かそうと思ったんだ」と思ったというわけです。

人工知能を構築する上で必要な「受動意識仮説」の理解は、これで十分ですが、能動的な「意識主体」が無くても、私が勝手に動いているのなら、受動的とはいえ、なぜ「意識主体」が生まれたのかということを最後に説明しておきましょう。

AIは「観察者」を作れば構築できる

前野教授説では、経験を記憶していくエピソード記憶を行うためには、エピソードの主語となる主体を必要としたからだということになっています。これまで説明したように、意識主体は、私が勝手に動いている結果を、ただ単に観測しているのにすぎないのに、「私がやったんだ」「私が感じたんだ」「私が思ったんだ」と思い込んでいるだけなのです。「私がやったんだ」「私が感じたんだ」「私が思ったんだ」というエピソードを記憶に留めるために。

人工知能の構築は、これまで、「司令塔」作りを目指して、失敗してきました。「受動意識仮説」に基づく人工知能の構築は、様々な部分機能を果たす要素の集まりを作り、その個々の機能要素が出力してくるアウトプットをただ単に観測している観測者を作ればいいということになります。

映画「2001年宇宙の旅」を見た人は思い出して欲しいのですが、「反乱した」HAL9000は、ボーマン船長が、HAL9000の様々な部分機能を果たす要素モジュールを引き抜いていくにつれてその能力を失い、その主体をも喪失していきました。

さて、仏教に詳しい読者の中には、「今回の話は、『五蘊(ごうん)非我』もしくは『五蘊無我』の話ですね」と思われる方もいると推測します。まさしくその通りですが、その話は、この連載コラムの趣旨を著しく逸脱するので、ここでは、控えさせていただきます。ご興味のある方は、それこそ、「五蘊非我」で、ググッて下さい。

(「村上憲郎のグローバル羅針盤」は原則、火曜日に掲載します)

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