"デザイナー・ジョブズ"の魂に触れた日本人
アップル 「シンク・ディファレント」の傍らで

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2011/10/13 7:00
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「スティーブの死を知ってから、その日はしばらくぼーっとしてました。そして、彼と仕事をした思い出がよみがえりました」

iPhoneを手にするジョブズ氏(2007年1月)=AP

iPhoneを手にするジョブズ氏(2007年1月)=AP

米アップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏が逝った10月5日、グラフィックデザイナーの八木保氏(62)は米ロサンゼルスに構える事務所で彼に思いを馳せていた。10年前、すべてのアップルストアの基礎となった1号店の内装をジョブズ氏とともに手がけ、後続店舗のアートディレクションも務めた。ジョブズ氏の自宅に招かれたこともある。

経営者であり、技術者であり、「デザイナー」でもあったジョブズ氏。その傍らで活躍した日本人のデザイナーがいたことは、あまり知られていない。

■アップルに染まった10月

ジョブズ氏が亡くなる前日の4日、スマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」の新製品「4S」が発表された。世界中のメディアやユーザーがこぞって予想合戦を繰りひろげ、待ちわび、本社がある米カリフォルニア州クパティーノ市発のニュースを固唾をのんで見守った。「5」が出なかった落胆の声も入り交じったが、とにかくネット上はiPhoneの話題で埋め尽くされた。

アップルストア銀座店の前にはジョブズ氏の死去を悼んで多くの花束が置かれた(東京都中央区)

アップルストア銀座店の前にはジョブズ氏の死去を悼んで多くの花束が置かれた(東京都中央区)

翌5日、人々は「『4S』とは『For Steve』という意味ではないか」と口々に語り、そこかしこに転がる「ジョブズ伝説」を手繰った。彼を語るほとんどの人が一緒に仕事をしたことも薫陶を受けたこともないが、とにかく世界中の多くの人々がジョブズ氏の話をし、哀悼の意を表した。

それは、ジョブズ氏が56年の生涯の幕を閉じる直前まで、革新的な製品で世界中の人々を魅了し続け、熱狂の渦に巻き込んだからにほかならない。

iPod、iPhone、iPad……。ジョブズ氏が生みだしてきたこれらの製品には、常に最新の技術とイノベーションと呼ぶにふさわしい機能が詰め込まれていた。娯楽やメディアといった既存産業の商慣習を壊し、人々のライフスタイルを変える威力があった。ただし、人々は技術と機能だけに魅了され、熱狂したわけではない。

1997年にジョブズ氏がアドバイザーという肩書ながら実質的な経営トップに復帰して以降のアップル製品は、いずれも直線と曲線の絶妙なバランスを持ち合わせた上品なデザインに統一され、デザイナーはあらゆるプロジェクトの中心に据えられた。継ぎ目やねじ穴を極力隠し、デザインに溶け込ませる。それでいて、丈夫さや使いやすさにもこだわった。「常識破り」のこだわりだ。

■アップルのブランド力の根幹

「ネットブック」と呼ばれた低価格パソコン全盛の2008年には、「MacBook」というノートパソコンのデザイン刷新に取り組んだ。宇宙産業で使用されているレーザー技術でアルミ板を精密加工するというパソコン初の製造方法を確立し、継ぎ目のない美しい外観と剛性を両立させた。アップル製品は分解しても美しいと言われる。必要なものを見極め、無駄を排除し、シンプルさを追求する姿勢は、ケーブルや部品の配置など見えない部分であっても徹底された。

こうした「芸術品」と言ってよいほどのアップル製品を顧客はめでるように大切に扱い、次のデザインを胸を膨らませて待ち望んだ。これほど関連するカバーやケースが多く、新製品のデザインに耳目が集まる電子機器はほかに見当たらない。

シンプルで、使いやすく、そして美しい――。アップルのブランド力の根幹ともいうべき、デザインを重んじる世界観を象徴するのが、世界に320店舗以上ある直営店のアップルストアである。ジョブズ氏は、新生アップルの「顔」ともいえるアップルストアのプロジェクトにも、並々ならぬ情熱を注いだ。

日本人デザイナーの八木氏は2000年秋、米サンフランシスコの事務所にかかってきた1本の電話を機に、このプロジェクトにかかわることとなる。そのストーリーは、ジョブズ氏がいかにデザインの力を信じ、重要視していたかを物語っている。

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